2015.12.25

ヒットコンテンツ/ストーリー/能動的365日への布石



早いもので2015年も年の瀬ですよ。


普段は、シャレ:マジメ=2:8で個人的パレート最適を図っていますが、今回は2015年ラストを飾るということで、マジメ9.8で切り込んでいきます。


Chapter 1

フランスの経済学者、思想家、作家であり、初代欧州復興開発銀行総裁を務めるなど、各所にその影響力を発揮しているジャック・アタリ氏が以前、NHKのインタビュー番組でこういった内容の示唆を述べていました。

『今後伸びる産業は、エンターテイメントと保険です。エンターテイメントは人々が混沌とした現実世界を生きるうえでの憂さ晴らしのために、保険は人生におけるリスクを軽減し安心感を得るために求められます。』


この先どれだけ時代が変化しようとも、この世の中からエンターテイメントがなくなることはないでしょうし、保険がなくなることもないでしょう。
エンターテイメントが生まれたのにも、保険が生まれたのにも、時や場所を超越する核心的な妥当性と、その根底には脈々と紡がれてきたストーリーがある訳です。

そして、ここでジャック・アタリ氏が言うエンターテイメントというのは、マズローの欲求5段階説でいうところの、最終段階にあたる“自己実現の欲求”に適うもので、これまで栄えていた大衆受けするオーソドックスな娯楽というよりも、さらに高次のエンターテイメントで、幾分アーティスティックで鋭角なコンテンツも含めて示すものです。

これまでのエンターテイメント・コンテンツは、大作ハリウッド映画やポップ音楽の隆盛に見られるように、強大な権威と影響力を持った人たちによって桁外れのリソースを投資され、パッケージ化されては広く大衆に伝播されていくもので、市場は画一的な価値観に求心されていき、結果的にはその受け取り方も半ばコントロールされたものが中心でした。
例えば、日本でトレンディドラマ、特に月9ブームが起こっていた1990年代から2000年代初頭頃は、月曜の夜9時になるとOLが街から消えるなどと形容され、若い女性を中心にリアルタイムでドラマを観ては泣いて笑って、翌日以降その感想などを皆で楽しく話し合うことが習慣化しているようなこともありました。

このように以前は、大掛かりな仕掛けによってマジョリティが形成され、そのままの勢いで文化と呼べるフェーズまで昇華し、広く浸透していくようなことがままありましたが、今現在では人それぞれのライフスタイルや趣向にカスタマイズされたエンターテイメントが提供されるようになり、コンテンツ表現の自由という意味でも、誰もがブログやSNSを利用して、自らが一メディア人としてコンテンツをどんどん発信するような時代になったことは、とてつもなくエポックメイキングな出来事です。
そして情報量の爆発的増幅と共に、人々のインプットおよびアウトプットがものすごい勢いで増大していったことで、これまでにはあり得なかった部分にスポットライトが当てられるようなことも出てくるようになっていきます。

エンターテイメントや保険の存在意義はどんどん高まっていく

エンターテイメントや保険の存在意義はどんどん高まっていく




Chapter 2

インターネットがもたらしたユビキタスの実現やITの向上に伴い、世界のパラダイムは刻々とシフトし、人々の生活を構成するあらゆる要素が大きく変容していったことは、周知の通りです。

労働経済の観点から見ても、今や工場労働的に同じことを繰り返す単純作業はオートメーション化が進み、誰がやっても同じ結果になりやすいタスクは構造的に仕組み化され、さらには内から外へとアウトソーシングされるようになっています。
労働経済界隈では、今後の人材市場から営業マンがいなくなるといった言説が囁かれていますが、それは半ば当然の流れで、これまではクライアントや消費者に関する貴重な第一次情報というのは、フロントに立ってアプローチする営業マンが握り、関係性を築いては、中下流域にパスしていくことで、非常に重要な役割を果たしていました。
電話で相手に連絡を取るのも一苦労だったような時代であればなおさらです。

しかし、WEBが発達した現代のように、誰もがいつでもどこでも簡単に迅速に情報を手に入れることができるような環境下では、御用聞き営業マンは不要だと言うと厳しく聞こえるかもしれませんが、そもそもリテンションとアクイジションを分断するような考え方自体が時代にそぐわなくなってきていて、ビジネスパーソンに求められるのは、「情報処理力」ではなく「情報編集力」だといった議論にも繋がっていきます。

つまりは、誰もが同レベルであらゆる情報を手に入れることができるのだから、大事なのは、得た情報を取捨選択し、どう設計し、どうコンテンツとして仕上げるかであり、それが一人間の仕事価値に換算されるようになります。
また、それが真の意味での知的活動であり、ホワイトカラーの為すべきアウトプットになっていく、ということに他なりません。
ひいては、その人間が持つ極めて属人的な人間力や経験力みたいなものが、より一層求められるようになっていきます。

情報編集力が求められる時代へ

情報編集力が求められる時代へ




Chapter 3

そして、情報編集力が求められるようなパラダイムシフトが進むのは、エンターテイメント界隈やショービジネスにしても同じことで、誰もが大きなコストなく様々なツールを駆使できるようになり、パフォーマンスできる場所を手に入れることで、今度はただ制作するのではなく、どう魅せるか、なぜ魅せるか、といったところの属人的領域で勝負するような世界になっていきます。

また、エンターテイメントにおいては個々人の才能や表現力が異なり、それを消費する側も感性や経験値が異なるので、どれだけ各メディアで洪水のようにコンテンツが量産されようが、グロスでエンターテイメントの需要が先細りしていくようなことは考えにくく、ただ一方で、時代環境の変化と共にコンテンツ個別の需要量というものは減少していることは確かで、例えば日本では、これまでエンターテイメント全体を引っ張り、そのレベルを底上げしてきたのは間違いなくテレビでしたが、その影響力は着実に他メディアにアロケートされています。

とは言っても、今現在でもテレビ業界の持つコンテンツ編集力や資産、波及力に、他のメディアは遠く及んではいませんが、テレビ番組の平均視聴率低下やIR情報などを時系列で見ていると、20世紀後半の他の追随を決して許さなかった、あの圧倒的なメディアパワーは相対的には減退していると言えそうです。

とにかくパラダイムシフトが進む

とにかくパラダイムシフトが進む




Chapter 4

しかし、これだけたくさんのコンテンツが消費される世の中であっても、エンターテイメントやショービジネスにおいては、実質、絶対的なオーソリティを保有しているところの牙城が崩れているとは言い難く、世の中が多様化して、分散化して、いくばく掴みどころのない状態になると、逆にそれまでの拠り所に立ち返ろうと、権威というものに収斂していく動きが強まっていくようなことがあります。

「ブロックバスター戦略」なるものが奏功することが露骨になってきている状況を見ることができるのも、その印です。

ブロックバスターとは、第二次世界大戦時の、空爆によって街区画(ブロック)を全て破壊するくらいのパワーを持った爆弾に由来し、圧倒的な影響力を持ったコンテンツの隠喩として、特にエンターテイメント業界などで使われています。
はじめは、人気映画の鑑賞券を求める人々が映画館の建っている区画を取り囲んで長い行列を作った様から、“ヒット映画”を表す言葉として定着していき、そこから現在では商材を問わず“メガヒット”といった意味合いで使用されている言葉です。

実はこれまでも多くの人々が広く享受してきたコンテンツは、ほぼ全てブロックバスター戦略のセオリーに沿って生み出されたものと言って大きく相違ありません。
テレビ番組、映画、レディー・ガガやマルーン5などのアーティスト、レアル・マドリードやFCバルセロナなどのヨーロッパサッカーチーム、MLBにNBAにNFL、さらにSMAPや嵐などのアイドルグループ、ポケモンや妖怪ウォッチなどのゲーム、ディズニーやハローキティなどのキャラクター、これら誰もが知る人気コンテンツはブロックバスター戦略の道筋の下でデザイン設計され、流通し、消費されてきました。

ブロックバスターによる市場席巻力は健在

ブロックバスターによる市場席巻力は健在




Chapter 5

また、幻冬舎社長で“出版界の異端児”として名を馳せる見城徹氏が、コンテンツとしての出版本がヒットするための条件は4つあると述べています。

◇オリジナルであること
◇明解であること
◇極端であること
◇癒着があること



「オリジナルであること」と「明解であること」は、さほど特別な条件ではないですが、後半2つが値千金です。


「極端であること」というのは、言葉の響きだけで敬遠されがちですが、そのロジックは至ってシンプルです。
今やエンターテイメントだけでなく世の商材は全て、コモディティ化が加速しています。
そうして消費者の目がどんどん肥えて、半ば慣れきってしまった市場環境では、正攻法で作り上げられたモノ、ひねりの利いていない普通のモノは、なかなか目立つことはありません。
おまけに、まず目立たないと箸にも棒にもかからないというような状況が顕著になってきていて、話題にならない、跳ねない、多少は売れたとしてもスケールしない、ということになり得ますが、そんな中、極端だからこそ文字通りヒットする確率が高くなってきます。
いくら綺麗なフォームでバットを振っても、球に当たらなければ意味はありません。
一方で、小さく地道に育てるロングテールを採用するにしても、持久戦に持ち込んで継続する体力とその先で挽回できるブレイクスルーを明確にイメージできていればいいですが、ウサギとカメの話で言えば、実際にウサギが途中で居眠りするようなことはありませんし、先行者であること、初速を上げて一気に盛り上げることは大切な注力ポイントであることに変わりありません。


「癒着があること」ですが、これが、エンターテイメントは当然として、あらゆる業界においてヒットを大きく左右する岐路であり、長い年月をかけて培われてきた不文律のようなものです。
癒着と言うと、少々聞こえが悪いかもしれませんが、平たく言うと、すでに下地がしっかりした絶大なパワーを誇るところの力を借りて、一緒にコンテンツを作って拡散することが最も効率的で、何よりもリーチ力が桁外れだということです。
イメージしやすいところで、著名人を起用したコンテンツというのはいまだに鉄板で、何を訴求するにしても著名人とセットにして出すと世の中のテンションは上がるので、例えば、ビールをゴクッと飲んで美味しいと言うだけの画がコンテンツとして成立してしまいますが、虎の威を借る狐と同じ要領で、揺るがない権威やメディアパワーを持っているところとのリレーションがあれば、あるいは食い込むことができれば、断然有利になって勝利へと近づいていきます。
だから、コネクションは何をするにしても無下にできない訳で、そんなコネクションを育てていくうえでは、情報編集力を発揮することや、その人間にしか出せないアウトプットが求められる、というのを常に意識すべきかもしれません。




そして今の世の中、3つ目の条件「極端であること」が伴っていないコンテンツが比較的多く、具現化するのが難しいのだと感じざるを得ませんが、なんとなく以下2点が引っ掛かります。

●極端なアウトプットは誰でも出来るというものではない
●決裁権の所在とパワーバランス



まず、極端を設計して、極端を製作して、その極端が周りに受け入れられるためには、誰がやるかが生命線ですね。
センスのある人があえて外す、みたいなことが非常に大事になってきます。
普通の感覚の人がいきなり極端なモノを作ろうとしても失敗するであろうことは容易に予想できますが、それだけでなく、ちゃんとセンスのある人が作らないといろいろと厳しいかもしれません。
先日、横綱の白鵬関が取組の出鼻でいきなり猫騙しを繰り出し、話題になっていましたが、あれも一種の極端で、横綱の猫騙しだからこそ、世間が沸いた訳ですよね。
なお、センスというのは才能だという見方があるかもしれませんが、センスはほぼ経験から来ていると考えていいと思います。
当然、才能がないとどうにもならないことは多々ありますが、才能は人生における経験をスムーズに助長する役割が大きく、センスはあくまでも経験によって養われるとしたいところです。
センスがあるというのは、才能と経験が合わさって出来上がる状態で、かつ経験の方がその比重は大きいイメージです。
そして、センスがある人が、設計し、製作し、世の中に発信していくこと。
これが素晴らしい極端を生み出すうえでは外せない条件になってきそうです。


次に、現実問題、いくら極端を見事に体現したコンテンツが出来上がったとしても、決裁者のOKがなければ、それが日の目を見ることはありません。
世の中でヒットコンテンツを生み出している企業やチームを洞察してみると、決裁権を持っている人自身が良い極端を生み出している、もしくは、現場に決裁権が移譲されていて、プレーヤーがワンストップで実行し、良い極端を生み出している、そんな組織編成になっているかどうかが勝率を格段に上げています。
理屈は簡明で、スピードとクオリティが担保されるからです。
スピード感持って決断することの重要性については説明不要ですが、クオリティ担保については、伝言ゲームと同じことで、仮に製作に携わっていない別畑の人間が最終的な良し悪しを判断しているのであれば、それ自体が危ないといったことは往々にしてあることで、実際のプレーヤーと決定権を握っている人間が異なっていて物理的距離や心理的距離が遠い場合、当該コンテンツがプレーヤーから決裁者へ移っていく過程で、それは純度100%のクオリティでちゃんと伝わっていないと考えて相違なく、結局は時間のかかるストレス工程は極力省き、プレーヤー自身がグリップし、直接的に極端を生み出すことに勝ることはないのかもしれません。
ここは、いわゆる大企業が中小企業やスタートアップに負ける最たる部分でもあります。

ヒットするコンテンツにはちゃんと理由がある

ヒットするコンテンツにはあらかた理由がある




Chapter 6

そして、癒着と同領域のネタになりますが、例えば映画を製作する際、無名の役者を抜擢するよりも、ジョニー・デップやマリオン・コティヤールを起用して製作する方が断然ヒットの可能性が大きくなるということは分かりますね。
もちろん、お金はたくさんかかります。

実はここに、コンテンツ作りにおいて無視できない法則みたいなものがあって、端的に、予算を多くかけたコンテンツの方が、スターに依存したコンテンツの方が、より多くの利益を運んでくる設計になっている、というのがあります。
これがブロックバスター戦略で主張されている、時代が変遷してもなお有効な、ヒットコンテンツ作りにおける妙です。

ハーバード・ビジネススクールの人気講義<クリエイティブ産業の戦略的マーケティング>を担当しているアニータ・エルバース教授は、アメリカを代表する大手映画会社ワーナー・ブラザーズを取り上げ、2007年から2011年の5年間でワーナーが製作した119本の映画を、製作費、世界興行収入、その差額である余剰利益を指標に据えて分析しました。
すると、上位25%の作品が、全製作費の55%、全世界興行収入の59%、全余剰利益の61%を占めていたようです。
ここで押さえるべきは、5年間で製作された約120本の映画のうち、約30本の映画が、全利益の60%を稼いだということですね。
そして、このヒット映画の中には、人気シリーズ「ハリーポッターと死の秘宝」や、アメリカンコミック「バットマン」を原作とした実写映画作品で、世界歴代興行収入TOP5に入るほどの大ヒットを記録した「ダークナイト」の続編「ダークナイト ライジング」が入っています。

語弊を恐れずに言うと、予算やリソースをそれなりにかけないと大ヒット作は生まれにくいという法則が横たわっているのが、エンターテイメントおよびショービジネス業界です。
なお、それを意識的に実践しているかどうかは経営上のお話になってくるのですが、およそヒットコンテンツというのは戦略的に莫大な予算をかけて、あるいはスーパースターと組んだうえで市場に届けられている、ということになります。
バンドワゴン効果というのは、運ではなく割と狙って生み出せる効果です。

そして、この法則は何もエンターテイメント業界だけに限ったものでなく、ITサービス業界など他業界においても当てはまる法則だろうということです。
どんなセグメントもそうですが、展開する商品やサービスラインナップの中で、全部同じ利益率ということはあり得ず、必ずドル箱になっているものと、原価そのままであったり、赤字になっているものがあるはずで、予算をラディカルに分配できているか、商材毎の役割分担をしっかりフィックスできているかは、かなり重要なポイントになってくることが分かります。

予算を多くかけたコンテンツの方がより多くの利益を運んでくる法則がある

予算を多くかけたコンテンツの方がより多くの利益を運んでくる法則がある




Chapter 7

加えて、それと表裏一体で重要な法則があります。

じゃあ、予算を大きくかけない事業やコンテンツは作る意味がないのかというと、そうでもないでしょう。
ここは投資における考え方同様、ポートフォリオを組むことが大事です。

前出のワーナーの製作した映画のうち、下位75%に位置する約90本の映画が全く無駄だったのか、製作しない方がよかったのかというと、そうではない訳です。
一見、ヒットしないであろうと分かっている映画を製作するなんて意味不明なように思えますが、理由は主に3つあります。


第一に、低予算投資はその後のテストケースになり、まず試してみて市場の反応を見ることができるうえ、それが将来へのシーディングになること。
例えば、映画業界では、売れた作品の続編を作ることが盤石の金脈だと考えられていますが、低予算投資はその様子見の役割を果たします。
日本でも大ヒットした映画「セックス・アンド・ザ・シティ」や「ハングオーバー」は、まさにその好例で、「ハングオーバー1」の製作費はおよそ3,500万ドルで、この巨額でもワーナーのポートフォリオ上、そこまで莫大な予算をかけた作品ではありませんでしたが、全世界で大ヒットした結果、その興行収入は4億ドル以上を記録したことで、続編の「ハングオーバー2」では前作の倍以上の8,000万ドルをかけて製作され、これまた予算を大きくペイして5億8,000万ドルほどの大ヒットを記録しました。
最初から有名俳優や最先端の映像技術を使うのではなく、無名俳優を起用したり、脚本や構成、アイデアでカバーして予算を抑えて製作することは、有用な攻め方であることが分かります。


第二に、関係性の維持に役立ち、ブランディングに寄与すること。
まず消費者とのリレーションです。
売れるモノだけを製作すると、どうしても数量が少なくなり、バラエティ性が欠如します。
例えば、ショップに行ってネクタイを見るとして、3種類しかネクタイが置いていないのと、30種類置いてあるのとでは、消費者からすると点数が多い方が安心するような心理があったりします。
なお、多過ぎると逆に選択しづらくなって購入率が下がってしまうといったデータもあるので調整は不可欠です。
自分の中で選択肢を削って、比較検討してチョイスするという購入体験も、消費行動においては大事な側面なのでしょう。
次にクライアントとのリレーションです。
例えば、新作を絶え間なく出している出版社は、書店との関係性を維持するうえで、その本数も大きな試金石になっていて、本数を多くすることでセントラルバイイングによる値引きや店舗内の設置場所などにおいても優遇されるので、結果的に営業力がアップすることになります。
また、継続的に多くのコンテンツを製作できる体制があることを示すことで、長期的な信頼を得ることもできますし、それが将来性を見込んだブランディングとしても寄与します。


第三に、規模の経済性。
コストは大きく固定費と変動費に分けられますが、ビジネス規模を拡大させていくと、規模の経済性が働くようになり、ある程度の数量をこしらえることで固定費を抑えることができるようになります。
例えば、ワーナー・ブラザーズなど大手映画会社であれば、自社が所有しているオフィス、スタジオ、撮影機材といった資産が世界中に存在しますが、年間で数本の映画しか製作しないのと、数十本の映画を製作するのとでは、映画1本にかける固定費が大きく異なってきますし、配給インフラの分散を行うことが可能になるので、大きくコスト削減に繋がるというメリットを手に入れることができます。

ポートフォリオが大切

ポートフォリオが大切




The Last Chapter

なお、ブロックバスターか否かに関わらず、正真正銘のエンターテイメントというのは、まるで魔法のように人の心と身体を動かすものですが、そこにはおよそ以下のような人間の行動原理が深く関与しています。

○有名人につられる
○権威が好き
○美しいものに惹かれる
○ステータスに憧れる
○できないことをしたいと思う(できることは別にしたいと思わない)
○多数派にいたい
○自分が他人からどう見られているかを気にする
○コンプレックスを埋め合わせようとする
○真実を求める
○リスクがないと思うと飛びつく



卵が先か鶏が先かと同じことで、売れるコンテンツというのは、人間が持つそもそもの行動原理をくすぐっている部分があって、そんな本能的需要があるからこそヒットしやすくなるということも、頭の片隅に入れておくべきでしょう。
パワーもセンスもあってホームランを打てるのに、打ち出し角度が間違っていて空振りというのは、相当寂しいですね。



しかし当然ながら、人間の行動原理に従っていて、かつ法則的なものや経験則を余すところ無く反映したコンテンツであったとしても、絶対ヒットするかと言えば、そうではないですね。
運やタイミングも極めて重要です。

そういうところも全部ひっくるめて、エンターテイメントの趨勢は、ビジネスも含めた世の中全ての営みに対して、共通して言える大事なメッセージをはらんでいるように思います。

元来、エンターテイメントのベースにあるのは、entertainしたい、人を楽しませたい、というシンプルな動機です。
それが具現化され、ストーリーが築かれ、共感が生まれ、やがてムーブメントが起こり、文化が醸成されていく。
これは、どんなコンテンツであろうと、どんな商品やサービスであろうと、ほぼ等しく当てはまる流れです。



自分たちが純粋に心から良いと思うモノを提供する。
自分たちが本当に楽しいと思うモノを共有する。
そのために、主観と美学を持ち続ける。

ヒットに繋がる“純正鍵”は、結局はそんなところに落ちているのかもしれません。






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