2016.07.29

街道トラッカーズ 日光街道(2/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。



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日光街道 (草加→杉戸)

越谷宿・昭和初期から営業を続ける米長乾物店

越谷宿・昭和初期から営業を続ける米長乾物店


埼玉大陸と草加せんべい

 
 千住新橋を渡ると、国道4号を逸れて県道103号線に入る。そうして、増トンクレーン車はゆらゆらと北上していく。
 軒の低い下町風情ある旧街道沿いの市街は車も多く、未来永劫、過疎化とは無縁の街に思えた。


「ここで生まれて、ここで死ぬって感じなんだろうな。」


 下町っていうのはそういうところだ。漂えど沈まず。そんな開高健の言葉が、なぜだかぼんやり浮かぶ。
 ラジオから流れるナック(NACK5)では、昨晩負けた浦和レッズの試合を分析している。



―――そうか、ここはもう埼玉大陸じゃないか。

草加松原遊歩道の隣に綾瀬川が流れる

草加松原遊歩道の隣に綾瀬川が流れる


 草加の辺りは、中小の運送屋や工場、物流基地が多い。山も谷もなく、関東平野特有のノッペリした平坦な感じがこのまま春日部まで続く。360度、右も左も変わらない景色。何の目印もなく方向を狂わせるような感覚が、埼玉の大陸感だ。

 埼玉県人には、この大陸感によって育まれた独特の大陸気質があると思っていて、俺は昔から、埼玉県人のおおらかで細かいことに頓着しない大陸気質が好きだった。この気質の部分で言うと、埼玉の上の群馬や栃木も似たようなところがあって、ひとえに関東平野気質なのかもしれない。そして、他ならない、俺の横に乗る関根さんが、埼玉出身者だ。

太鼓型の歩道橋は百代橋

太鼓型の歩道橋は百代橋


 試しに、関根さんにそんな話を振ってみたが、あんまりピンと来ていない様子で、心はすでに草加の史跡にありといった様子だ。


 草加は、草加せんべいが有名で、それに因んだ史跡も多い。なお、草加せんべいはもともと、茶屋で出していた団子をつぶして焼いて、携帯できるようにした街道食だったらしい。そこに有名な野田の醤油をつけたことで醤油せんべいが生まれたとか何とか、真偽の程は定かではないが、それもまた北へとつながる水戸街道と日光街道を想起させるエピソードで、なかなか興味深い。

越ヶ谷宿・明治33年築の鍛冶忠商店

越ヶ谷宿・明治33年築の鍛冶忠商店


 実際、草加松原の松並木に行ってみると、これがなかなか、街道浪漫漂う街だった。
 街道筋のところどころに旧家屋が建っていて、橋はアーチ型に掛け替えられている。遊歩道には、街道筋の松並木が保存されていて、街全体に草加宿の気概が感じられる。


「行政がしっかりお金をかけて残そうとしている。」
 
 関根さんはそう言いながら、撮れた撮れたと満面の笑みを浮かべる。同じ埼玉県なのに草加がこんな街だとは思わなかったと感心しきりだ。



 俺もその昔、国道4号を何度も往復していたが、中心部がこんな風に街道筋としてのキャラクターを全面に押し出しているとは思わなかった。規模は小さいが、川越に初めて行った時の驚きに近いものがあった。

越ヶ谷宿・木下半助商店は江戸時代から続く金物屋

越ヶ谷宿・木下半助商店は江戸時代から続く金物屋


街道、恋の超特急

 
 ズドドドド、キュイーン、ガチッ、キュイーン。


―――発見というのは、幸せな気分にしてくれる。
 

 漫画『孤独のグルメ』ではないが、旅先で出会う偶然ほど心躍らされるものはない。たとえ目と鼻の先だと思っていても、旧街道は行ってみないと分からないことだらけだ。
 過去を振り返ってみても、現役トラック運転手時代に少しでもそういう感性があったら、もう少し色々な世界が見られただろうにと思ったりもする。



「そこんとこヨロシクなのは、やっぱり桃次郎先輩だよな。」
 
 キャビンを我が住処とし、恋も仕事も遊びも、全てトラック絡みだった『トラック野郎』の星桃次郎は、やはり純然たるトラッカーだった。物語上の設定とはいえ、住所不定の桃次郎への郵便が、川崎にある行きつけトルコ風呂宛てになっているなんて、最高すぎるではないか。桃次郎は一番星号を住居に、日本全国の祭りを楽しみ、喧嘩に明け暮れ、全国を股にかけて恋をするのだ。

 そんなの映画世界の夢物語だと思うかもしれないが、やる先輩は実際にやっている。

粕壁宿・旧商家の東屋田村本店前にある石柱は道標

粕壁宿・旧商家の東屋田村本店前にある石柱は道標


 道を譲った譲らないの諍い(いさかい)は日常茶飯事で、男だらけの狭い世界では、退けないところは退けないゆえの喧嘩も多い。また、祭りを巡る旅も自営の運転手ならやろうと思えばやれるし、会社に所属していても、例えば連休に合わせて降ろし先方面の運転手の家に厄介になり、飲んだり観光したりといった楽しみ方もある。まあ、それは独り身同士に限るが。



「うんうん。それで?運転手って、日本全国に女がいるイメージじゃない?そこんとこどうなの?」

もうこれまで何度かその話は関根さんにしたような気もするが、俺は再び話して聞かせる。

「あるっちゃあるね。出会いの場はスナックが多いかな。」
 


 増トンクレーン車は、越谷宿へと入った。
 鍛冶屋や金物屋の旧家屋が多く、クレーン車にはおあつらえ向きってところだ。おもむろに関根さんが写真を撮りに外へ出ては戻ってきて、話が再開する。

「俺が乗ってた頃はスナックだったけど、今じゃキャバクラかも。」
 

 翌朝降ろしの降ろし先に着いたら、運転手が愛するプライベート時間が始まる。テレビを見ながらベッドで一杯やるのがセオリーだが、早めに着いたりすると、血が騒ぐのが男の性。桃次郎のように、風俗に繰り出すパターンもあるし、スナックでおしゃべりしながら酒を飲みたい時もあって、日本全国に彼女がいるようなパターンは後者だ。スナックで仲良くなり、そのまま男女の仲になる。そして、仕事の度に彼女が軽自動車などで迎えに来て、朝方トラックに帰ってくる。

日光街道から臨む堂々たる小淵山観音院の仁王門

日光街道から臨む堂々たる小淵山観音院の仁王門


変わらない。旅は道連れ、世は情け。


「いいねぇ。」

「いいよねぇ。羨ましいよねぇ。」

 
 無論、モテる先輩はそれを日本全国で同時並行的に進め、プロジェクト化してしまう。ほとんどの地方に彼女がいて、降ろし先にトラックを停めると、霧隠才蔵のように消えてしまう。
 それでもまあ、ここまではモテる男の運命であり、先輩憧れますわで済む話である。しかし、さらに嘘つきでだらしなかったりすると、やはり同時並行的に子が出来るという、社会的に抜き差しならぬ状況へと追い込まれてしまうのだ。

杉戸宿・渡辺金物店跡

杉戸宿・渡辺金物店跡


 ここで、非常に不思議なのだが、そんなことになってもなお、先輩はのうのうと運転手を続け、そのプロジェクトも終わらなかったりする。
 地獄を見るのは先輩の極秘プロジェクトが公の下になった時だけで、その後も特に詰められることもなく、なぜか許されてしまう。
 確かに悪い人ではなかったりするのだが、にしても、なぜなのかと不思議で仕方なかった。

 ちなみに、その手の女好きは、色白のハンサムもいたし、口の巧い愛嬌ある巨漢もいたし、寡黙な細面の渋い系もいた。だが皆一様に言えるのは、本来的に自分が許されることを知っている体で、幾分、タチが悪かった。


「もう、街道ラブストーリーだよ。」

 そう言って俺たちは笑ったが、俺は半分本気だった。



 そんなこんなで、トラックはちょうど粕壁宿に差し掛かっていた。
 もうほとんど旧街道を感じさせることのない地方都市然とした街並みを眺めながら、街道ラブストーリーみたいなのは、これまでも街道筋ではよくあった話なんじゃないかとも思っていた。

杉戸宿・カーブ沿いに建つ小島定右衛門邸は角穀跡

杉戸宿・カーブ沿いに建つ小島定右衛門邸は角穀跡


 例えば、桃次郎がドライブインのマドンナに惚れるように、飛脚が宿場町の小料理屋の娘と恋仲になったりすることもあっただろう。
 そもそも、かつての街道は、特に江戸の頃の日本は性に奔放だったという。各宿場町には、普通の旅籠にさえ、飯盛り女と呼ばれる、女中の仕事を兼務する私娼が幕府公認で常駐していたというから面白い。
 そこを何度も行き来する飛脚や旅人、商人らが、彼女たちと恋仲になったとしても何の不思議もない。飯盛り女同士の寝とり寝とられ話も、たくさんあったはずだ。



―――浪漫がある。


 そこにある人間模様や悲喜こもごもを考えると、移動を日常としていた者たちとその土地に寄り添って暮らしている人たちの出会いと別れは、現代と何も違っていないはずだと言い切れる。違うとすれば、現代ははるかに堅苦しくなっているぐらいなものだろう。もはや、その痕跡を留めることはない。
 
 粕壁宿にも、飯盛り女の逸話は残ってるらしかった。

杉戸宿・宝性院

杉戸宿・宝性院


 ズドドドド、ピシッ。キュイーン、ガツッ、キュイーン。

 俺たちは粕壁宿を後にし、国道16号を越え、より旧街道風情が色濃く残る杉戸宿へと入っていった。




◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






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