2016.08.01

街道トラッカーズ 日光街道(3/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。



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日光街道 (杉戸→小山)

幸手宿の古民家

幸手宿の古民家


となりのトトロと国道16号

 
 杉戸の辺りは、いい街道筋だ。国道沿いの田舎町の風情に旧家屋が残っている。古色蒼然とした小淵山観音院の仁王門だったり、日光街道ゆかりの宝性院だったりが、街道情緒を匂わせる。



「この石碑も、昔は街道沿いに立っていたんだと思う。」

馬頭観音・日光道中の道標が宝性院の境内に残る

馬頭観音・日光道中の道標が宝性院の境内に残る


 道の途中で手洗いを借りた宝性院のお母さんは、境内にある日光道中と書かれた石碑を指差し、説明してくれる。
 ちなみに、お母さんは俺たちがトラックで駐車場に入ってきたのを見て、石屋さんが来たと思ったらしい。このクレーン付きなら石屋も重宝するはずで、この示し合わせたような偶然は、馬頭観音様の思し召しと言ったところか。

 
 そこでハッとしたのだが、杉戸は埼玉県北葛飾郡杉戸町という埼玉県の北方の郡部に位置している。ここから国道16号は程ない距離なのに、春日部市ではなくなっている。春日部市を過ぎると、いわゆる首都圏の低い住宅街が密集しながら続く風景が一変するのだ。とにもかくにも、春日部市と杉戸町のコントラストはなかなか強い。

幸手宿・明治天皇幸手行在所跡碑

幸手宿・明治天皇幸手行在所跡碑


 ギュルッギュルッギュルッ。ズッドドドドドドド。



 俺たちは、宝性院のお母さんに手を振り、出発した。
 雨で濡れた土の匂いがキャビンを満たしていた。


 そして、埼玉や千葉あたりでは、国道16号の内と外で世界が違う。きっと国道16号が出来てから、それまでなんとなく野放図に広がっていた首都圏が規定されていったからではないかと思う。運転手にお馴染みの国道16号は、ところどころで使うには使うが、一度に全線走ることはあり得ない。でも実際のところ、横須賀から千葉の富津までの広大な首都圏を円で描いているのだ。

国の登録有形文化財・岸本家住宅主屋は現在カフェとして営業中

国の登録有形文化財・岸本家住宅主屋は現在カフェとして営業中


 俺が陸送屋の時代、春日部から神奈川の厚木まで、都心経由と国道16号経由ではどっちが早く着くか、同僚のゾノと競争したことがあった。
 結果、深夜帯だったにも関わらず、都心経由が1時間以上も早く、首都圏の外縁がいかに広大かを思い知らされた。

明治時代は魚屋で現在は酒店の永文商店

明治時代は魚屋で現在は酒店の永文商店


 国道16号というのは、渋滞も多いが、走っていると心浮き立つトラック街道。

 横浜、相模原、八王子、米軍基地のある福生、入間、川越あたりはすぐそれと分かるほど街のカラーが強い。それらに比べると、春日部以東の国道16号はパッしないのだが、その分、内と外とのコントラストが強いのである。

店舗の裏に宿場時代の面影が残る関薬局

店舗の裏に宿場時代の面影が残る関薬局


「田んぼが広がって、森がこんもり残っているような風景って見たことない?」

 関根さんにそう問いかけてみるものの、見たことないと小首をかしげる。
 無理もない。最もこの光景を見られるのは東北自動車道で、国道4号や旧道は沿道が騒がしすぎて、日本の原風景みたいな光景を目にすることはほぼない。




「ほら、宮崎駿のとなりのトトロみたいな風景だよ。鎮守の森があってさ、村の上を飛んでいくじゃん、猫バス。」

「いや、俺、宮崎駿を観たことないんだよね。」

「そうだった。忘れてた。」

高浜商事の建物は昭和9年築

高浜商事の建物は昭和9年築


 そこで関根さんとの会話は終了したが、春日部から先は、そんな風景がどんどん広がっていくイメージだった。



 俺たちを乗せたクレーン付トラックは幸手、栗橋、中田、古河と宿場町を次々とパスしていく。
 古民家も一宿場に一軒ぐらいあり、関根さんのトラックを降りる足取りも軽い。
 街道に史跡が出現する具合は、まさにポケモンGOである。

右江戸街、左日光道と書かれた日光街道古河宿道標

右江戸街、左日光道と書かれた日光街道古河宿道標



家康公とバイブスのいいバイパス

 
 ちなみに今回、旧街道を追うのにグーグルマップのコンテンツに入っている旧街道ルートをなぞるように走っているので、ルートを間違える心配はない。
 街道3本目にしてようやくITが勝利したと言えるだろう。まあ単純な話、俺がスマホを買い替えてバッテリーがもつようになったというだけの話だが、旧街道を旅したい人には勧めておきたい。




 ガコッ。ズドドド。キュイーン。ガコッ。キュイーン。

明治44年創業の武蔵屋は国登録有形文化財

明治44年創業の武蔵屋は国登録有形文化財


 小山に差し掛かると、一際大きな塀構えの倉屋敷が現れた。
 訊けば創業明治4年の造り酒屋だという。蔵は江戸末期発祥のものもあるとのことで、酒蔵以前は違う生業をしていたのかもしれない。西堀酒造というその酒蔵は、見るからにこの辺一帯の名士といった風情だった。



「お土産買ってきちゃったよ。」
関根さんは銘酒の若盛を手に、洋々と引き揚げてきた。



―――どんな味がするんだろう。

 日本酒を飲みつけない自分ではあるが、水どころで米どころの小山だ。古い酒蔵の日本酒は美味いに違いなかった。

明治5年創業の西堀酒造

明治5年創業の西堀酒造


 宿場町で栄えた小山だが、以前は祇園城を中心にした城下町だった。江戸川に通じる渡良瀬川の支流、思川の水運で栄え、日光街道、徳川家康とのゆかりも深い。

 家康が上杉景勝討伐のために北進しているところ、石田光成の挙兵を聞き、世に言う小山評定を開いたのがこの地である。須賀神社で評定を行い、家康は合戦を決意した。そして、戦勝祈願を行った後に天下分け目の大合戦、関ヶ原の合戦へと日本史が大きく動いて行くのだった。

 その後、祇園城は祇園御殿と名を変え、歴代将軍たちの日光社参の拠点となった。また、水運も日光東照宮を建設するにあたっての資材搬入の拠点として使用されたという。




―――もう、家康!家康!家康!って感じだ。


 栃木ではすっかり、宇都宮に次ぐ第二の都市的なポジションの小山市だが、日光街道や家康の思い入れという意味では、日光街道随一の町なのかもしれない。
 とはいえ、俺が運転手をしていた時代は知識がなかったから、そんなことに考え及ばなかったし、思い出は、小山バイパスで折からの夏の暑さによってトラックのラジエターが破裂したことぐらいしかない。

小山の町並み


とんかつと鼠小僧

 
 小山バイパスは、市内を経由しない市街地を抜ける高速道路のような道で、なだらかなカーブと起伏が走っていて、最高に気持ちの良い、つまりはバイブスのいいバイパスである。
 だが、よく知られているように、この辺の真夏の気温はヤバイことになるので、解体屋から出てきたばかりで何年も運転されていなかった中型トラックは、その暑さに耐えきれず、ラジエターから失禁してしまうことがあるのだ。
 だらだらとラジエターから流れ出る水。熱くなったアスファルトは、一瞬でその錆水を乾かす。


 その時は、あぶなくエンジンを焼きつかせて昇天させてしまうところだったが、脇の田んぼの用水路でペットボトルに水を詰め、継ぎ足し継ぎ足しながら走ったのだった。
 小山の由来が少しでも頭に入っていれば、直参の旗本よろしく、家康大公の御威光にかけて走らなければなるまいぐらいの気持ちになったのかも、と今は思っている。

栃木県小山市

 
 
 やがては腹が減ったと思い始めた昼下がり。
 うおっと思わず大声をあげてしまいそうな旧家屋が、大型ポケモンよろしく、街道沿いに現れた。



 それは、とんかつの合掌であり、俺たちは撮影がてら昼飯を食べることにした。


 はじめは庄屋の家でも改築したのかと思っていたが、そうではなく、もともとおそらくは草加にあった商家の旧家屋を門ごと移築したらしい。天保七年に建造され、天保八年に大盗賊・鼠小僧次郎吉に押し入られたと、店の由来が記してあった。

とんかつ定食



「鼠小僧次郎吉か。これは大ネタだよ。3,000字に匹敵する大仕事になりそう。」

 俺は大作の匂いを嗅ぎつけ胸躍っていたが、関根さんは、いやいやと言いながらすげない反応である。
 



 後日調べてみると、次郎吉の享年は天保三年とあった。
 とんかつの量は多いし、カラっと揚がっていて絶品だった。

 まあ、これが街道だ。真偽は道のみが知るってことでいいのである。

小金井宿・黒豚とんかつ合掌

小金井宿・黒豚とんかつ合掌




◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






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