2016.07.26

街道トラッカーズ 日光街道(1/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。



日光街道(日本橋→草加)

素盞雄(すさのお)神社前

素盞雄(すさのお)神社前


俺たちのNACK5

 
 朝一番でトラックに乗り込むと、ラジオから流れてきたのはNACK5<79.5>。俺はラジオ局を変えることなく、日本橋で関根さんを待っていた。


「この歳にしてナックとはなぁ…」
 

 なんとなく切るでもなく、変えるでもなく、そのままにしていたラジオにいつの間にか耳が釘付けになっていた。
 NACK5は埼玉のFM局で、FMの中ではJ-WAVEと並んで1位、2位を争う人気チャンネルだ。この2本に通称“ハマラジ”ことFM横浜が絡んではくるが、ハマラジは神奈川ローカルの印象が強く、関東全域で聴かれている印象はない。

駐車場の端に建つ日光街道本通の道標

駐車場の端に建つ日光街道本通の道標


「おはようおはよう。すごい雨だ。」

 豪雨の中、関根さんがトラックに乗りこんできたところで、いざ日本橋を出発。
 

 ナックの軽快なトークが俺の気分を上げてくれるが、関根さんは少々機嫌が悪い。無理もない。雨に降り込まれて、機嫌が良いカメラマンなんて見たことがない。トラッカーだって、雨の日の運転は憂鬱だ。すぐウインドウは曇るし、サイドミラーも見辛くて仕方ない。ついでに言えば、事故も増えるって話だ。

大伝馬本町通り


―――ちょっと聴いてくれますか?この間『キミの作る卵焼きは甘い』って主人に言われて悔しくて、砂糖の代わりにみりんを使ってみたんです。そしたら主人ったら『母親が作ってくれた卵焼きの味がする』って嬉しそうに言うんですよ。マザコンですよね?




「…うわっ、しょーもね!」

 ラジオに華麗な突っ込みを入れながらも、ダイヤルはそのまま、耳は釘付け。
 他愛もないリスナーからのメッセージと、異常にキュートな声をしたナビゲーターとのやりとりがたまらない。思わず嫁にしたくなるようなナビゲーターのキャラ立ちは、地方FMの常套パターンで、そこがいい。ロハスだの、クリエイターだの、カナ文字センスが鼻につくJ-WAVEに比べれば、トラッカーからの支持は圧倒的に厚いのだ。

神田川に浮かぶ屋形船

神田川に浮かぶ屋形船


 
 俺が運転手だった頃も、仲間内で人気なのは断然ナックだった。千葉の運転手も、神奈川の運転手も、長距離で関東に来ている関西の運転手も、埼玉ローカルのナックが好物だった。
 

 そんな話をしていると、関根さんがすかさず突っ込む。
「運転手が好きなのはスナックじゃないの?」
 

 無論、運転手が好きなのはスナックだが、ラジオはナックだ。俺は正直なところ、洋楽しか聴かなかったからJ-WAVEばかり聴いていたが、はっきり言って少数派である。
 とにかく、トラッカーとラジオは切っても切れない関係であり、かけがえのないパートナーなのだ。

国道4号と連帯感

クレーン付き増トン車

 
 俺たちを乗せたクレーン付き増トン車は国道4号、通称日光街道を北進する。


 日光街道は、徳川家康の墓所(日光)と江戸をつなぐ街道として“日光道中”と呼ばれていたが、もともとは“奥州道中”として東北と江戸をつなぐ街道の一環で機能していた。
 毎年、家康の命日に行われる将軍の日光社参に使用され、社参は大きいものになると、先頭が日光に到着した頃に最後尾はまだ江戸を出発していなかったと言われるほど、壮大な行列だったらしい。


 今回クレーン付き増トン車にしたのも、江戸に都を造り日光に大社を造った家康にあやかる形で、土木国家・日本を体現するためである。

 ちなみに、クレーン付き増トン車は、建築資材や機械の搬入に使用する積載量増しの中型トラックだ。まあ、家康はこじつけだが、街道ごとにトラックを替える粋は感じてほしいと思う。

工事中の雷門

工事中の雷門


 例によって日本橋を出発し、最初の目的地は浅草寺だった。しかし、いきなりここで出鼻をくじかれた。
 肝心かなめの雷門が、改修中でシートに覆われているのである。そもそも浅草寺を経由することからして意外だったが、日光街道は史跡の類いが少なく、関根さんの不機嫌の原因は雨の他にそこもあるらしかった。

「日光街道は撮りドコロが少ないんだよ。」
 
 関根さんはプロカメラマンとして、より多くの旧街道の史跡を撮ってやろうという意欲がある。俺はトラックを降りられないので、付き合っているとは言い難いのだが、それでも写真を並べてみると、なるほど旧街道情緒は驚くほど色濃く記録されている。普段仕事で走っている道に隠された旧街道情緒は、意識してみると、意外と簡単に見つかる。

 それは、関根さんとトラックに乗って初めて分かった気付きだった。

創業200余年の駒形どじょうは、徳川11代将軍・家斉公の時代から続く老舗

創業200余年の駒形どじょうは、徳川11代将軍・家斉公の時代から続く老舗


 ジャッジャッジャッジャッ。


 ワイパーの軽快なリズムと旧家屋の佇まいの中、雨にむせび泣く隅田川の屋形船を横眼にトラックは、ゆらゆらと旧街道を北進する。


 旧街道が、トラッカーには馴染みの深い昭和通りを使うことなく浅草経由というのは意外だった。北へ江戸を出るのも浅草寺、北から江戸入りするのも浅草寺だという訳で、その感覚はトラッカーには全然ない。もっと言うと、日光街道とその先の奥州街道の区別すらない。

 まあ、北へ向かう道はほとんど国道4号に集約されていると言っていいから、国道4号がトラッカーにとって特別な道であることに変わりはない。

あしたのジョーにも出てくる泪橋は現在、橋ではなく交差点

あしたのジョーにも出てくる泪橋は現在、橋ではなく交差点


 昭和通りの先、国道16号を越えると、国道4号はバイパスをつなぐ深夜だけの高速道路といった様相を呈する。大型トラックの群れが一斉に北を目指し、あるいは東京に流れ込んでくる様は、大動脈という形容がふさわしい。

 俺は、そんな光景が昔から好きだった。現在でも東北の実家に帰る時は、何とはなしに国道4号とそのバイパスを使ってみる。言い様のない連帯感のような感覚が懐かしい。


―――そう考えると不思議なもんだ。旧街道ってのは。

常磐線の高架下を潜り、地上の都道464号へ

常磐線の高架下を潜り、地上の都道464号へ


 もはや現代の旧街道は一部を除いて、主要道としての役目を果たしておらず、象徴的な旧家屋を使用した店舗も営業していないケースが多い。けれども、ちゃんと残そうとしている人がいて、残る家屋を見て感嘆の声をあげる俺たちみたいな人種もいる。
 それはノスタルジーでも何でもない。なぜなら、それらは我々の生まれるよりはるか昔に建てられたものであって、言わば未知の世界を目にしている訳だから。


―――つまり、それが浪漫ってもんだ。

男の浪漫。キャビンの中。

 
 今回の旅の前、俺が大型トラックで行こうとしていると、関根さんはもう少し小さいトラックで行こうと言った。

 確かに大型では旧街道に入れないのが常であるし、一時的な停車でさえ一苦労なのだから、言わんとしていることは分かる。しかしながら、そこは俺の浪漫。トラックは大きければ大きいほどいい。見る世界が変わるうえ、第一に見栄えがいい。できることなら、大蛇みたいな長いトレーラーで走りたいとさえ思う。


 そして俺は、史跡を撮影するのはひとつかふたつでいいと思っていて、それを口にしたことがあった。でも関根さんは、できる限り記録していきたいと、きっぱり答えるのだった。
 旧街道に残る旅籠や赤線の記憶、当時から旅人を見守ってきたであろう寺社仏閣の姿を記録したいという、カメラマンの純真な気持ち。それも、浪漫なのだ。

千住大橋を渡り、草加宿へ向かう

千住大橋を渡り、草加宿へ向かう


 浪漫というのは基本的に、他人には理解しがたいものだ。ざんざん降りの中、カメラを小脇に抱えてトラックを飛び降りる関根さんを見ていると、彼の伝えたがっている何がしかを俺も感じて、言葉にしたい気持ちにもなる。
 仮に、見ず知らずの他人が、浪漫のことを“こだわり”と呼ぶとする。申し訳ないが、“こだわり”なんて薄っぺらな言葉のために、ここまで出来やしないし、仕事のための“プロ根性”というのもちょっと違う。やっぱり、そこは浪漫だ。


「あの店、どじょう屋だってさ。下町だからこういうのは残ってるんだよね。」
関根さんはそう言いながら、嬉しそうにトラックに帰ってくる。




 さて、エンジンをかけ、次の史跡へ。

 間髪もいれず得意先を回るトラック仕事を、運転手だった当時は“急ぎ働き”と呼んでいた。これだって言うなれば、あの頃と同じ“急ぎ働き”なんだ。


 さぁ、次へ。がんがん行こう。がんがん。

雨とトラック


―――懐かしい、この感じ。



 運送会社に運転手として採用されたとして、最初に待っているのは助手だ。どんなベテランでも一週間は誰かの助手を務め、その会社のやり方を学ぶ。
 とは言っても、運転手は経験職なので、あからさまな上下関係はなく、お互いの経験を尊重しながら運転したり代わったりという緩やかな関係だ。また、トラックにベッドは基本ひとつしかないから、長距離の場合は多少気を遣うが、メシから風呂まで共にしていると、よほどの話下手でもない限り、それまで送ってきた人生を洗いざらい語り合う。

草加



「タイで沈没している時は、どこに住んでたの?」

 この関根さんからの質問は、俺が学生時代にタイのバンコクにハマり込んでいたのを知ったうえでのものなので、ここまで来ると、かなり高度なコミュニケーションと言えるだろう。
 一方で、“ケツの穴まで見せ合う仲”とはよく言ったものだが、そんなことを言って馴れ合っている手合いに、まともな友情が育っているのを見たことがない。そもそも、そこまで見せたいとは思わないし、見せられるのもまっぴら御免だ。決して一線を越えないところで、俺たちは会話を続けた。住んでいた街の名前、現地女性のタイプ、見聞きしたタイ人と日本人の悲恋譚。


 実際、キャビンの中での会話は尽きることがない。




 そうこうしている内に、トラックは千住新橋を越えて、草加へと入っていった。

観光案内施設の草加宿神明庵

観光案内施設の草加宿神明庵



◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






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