2016.06.08

街道トラッカーズ 東海道(3/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。



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東海道 箱根編(平塚→小田原)

東海道 箱根編(平塚→小田原)


波乗りと旧街道


 相模川を渡ってしばらく平塚市街を走ると、右に小高い高麗山が見えてくる。するとそこは、歌川広重の絵にも出てくる宿場町、大磯だ。この大磯って街は不思議なもので、俺はトラックで何度も通っているし、年に何回かは海岸線沿いの大磯ロングビーチに来ているはずなのだが、ほとんど何の印象も残っていない。

 トラッカーの立場から言わせてもらえば、海岸沿いの西湘バイパスか、北の小田原厚木道路を使うのが普通だから、国道1号の印象が薄くなるのは致し方ない。ただ、ところどころ松並木は残っているし、宿場町だった本陣跡やそば屋の跡、かやぶき屋根の民家なんかもしっかり残っていて、旧街道という点で見れば、非常に見どころが多い街なのだ。国道を少し流しただけでも、かつての街道筋の雰囲気が色濃く残っているのに気付かされる。

明治24年から続く、島崎藤村や吉田茂にも愛された和菓子屋、新杵

 
 そして、“高麗山”という名の由来にもある通り、渡来人が移り住んだ場所であり、古くから要所として栄えていた。このところ少しずつだが、年々人口も増えているらしい。まあ、サーフスポットとしての大磯に魅力を感じる人が増えつつあるってことなのだろう。ちなみに、大磯の波は、茅ヶ崎や江ノ島あたりと違ってサイズが大きく、初心者向きではないということもあって、サーフスポットとしてメジャーなイメージを持つに至らなかった。たいがいの海水浴客だって、江ノ島を越えるなら、いっそのこと伊豆へ行こうとなるはずだ。

―――目立たない街か。

大磯宿小島本陣旧蹟

 
 そう思って走っていると、漠然と住んでみたいという気持ちがこみ上げてきた。何年も前から知っている道なのに、そんな風に感じたのは初めてだった。

―――そうだ。これが街道の街ってやつだ。

流れ者が流れ着く土地


 トラッカーというのは、キャビンの中から見える景色によって、そこで自分が暮らすことを無意識に想像しているもので、その想像を実行に移す“流浪型”か、あくまで自分の地元にこだわる“定着型”かでタイプが分かれる。
 実際は圧倒的に後者が多いが、キャビンの中から見える景色が大事な第一印象。それから、降ろし先の雰囲気だったり、フォークマンの人柄だったり、給油所のサービスの良さだったり、定食屋のおばさんの気風だったり、時間を持て余して入ったスナックの姉さんの快活さだったりと、その土地のイメージは様々な形で広がっていくのだ。

―――ここに住んでいたら、俺はどんな暮らしをしているのか。
 
 自分に合った土地を絶えず探し続けているようなトラッカーの習性は、人間ならではの本能に近しいものがある。

平塚の松林

 
 街道は、流れ者を絶えず流通させた。いろんな土地の匂いが染み付いた流れ者たちが来ては去ることで、人や物だけでなく文化や習俗も流通していった。しかし、流れ者の人生とは何かと考えた時、その生き様は流浪型トラッカーの人生に近かったのではないかと想像できる。やんごとなき事情、例えば事故や借金で会社に居られなくなり、日本各地を転々とせざるを得なくなったトラッカーがいるのだ。

 ここで、彼らの目に映る景色をイメージしてみよう。街道をよく知る彼らだから、自分に合った土地を見つけるのは訳ないはずだ。トラッカーは、生きてひとり死んでひとりが一番身に沁みる商売。離婚経験のある者も多く、脛に傷を持つ極道者や前科者も少なくない。そんな男たちが選ぶのは静かで、それでいて人の流れがあって、何よりも目立たない土地のはず。
 ある者はその土地に住むために、あるいは新しい家族を持つことで、トラックを下りてしまうのかもしれない。それでも何年かして、また何かあると、なぜだか街道に戻ってくる。そして、この稼業に戻ってくる。そんな折は、たいがいひとり。そういうものなのだ。

胸騒ぎの小田原、そして箱根の懐へ。

胸騒ぎの小田原、そして箱根の懐へ。

 
 ズドドドドド。ピシッ。ドドドドドド。ピシッピシッ。ギギギギギ。

 

 陽も上がったお昼前、大型トラックは小田原へ入った。ストップ・アンド・ゴーを繰り返す下道(したみち)ばかりを走っていると、ギアの入りが次第に鈍くなってくる。不特定多数の人間が運転するトラックにありがちなのだが、少々クラッチが心許ない。それもタイミングかと、休憩を入れる。
 キラキラ輝く相模湾を見ながら一服し、またエンジンをかける。そのリセットはだいたい5分でいい。眠くなっても同じだ。5分でいいから路肩に車を寄せ、目をつぶる。長くこの稼業を続けたいなら、絶対にこの手間を惜しんではいけない。“5時間走ったら30分の休憩”というのは、運送屋ではよくある事故防止の標語だが、重要なのは虫の知らせにも似た予兆なのだ。疲れや眠気に、変な胸騒ぎ。1時間だろうが3時間だろうが5時間だろうが、乗車時間は関係ない。とにかく兆しを感じたら、車を寄せるに限る。

小西薬局

 
 小田原というのは城下町であり、箱根越えの前の宿場町としても栄えた。かの東海道中膝栗毛でも、活況を呈した宿場の様子が活写されている。そして、東海道の難所と言えば、箱根八里の道のり。小田原から箱根の関所までが四里、そこから三島までがさらに四里の道のりとなる。一里を約4キロと考えると関所までは約16キロ。草履で歩く山道は、相当に難儀だったに違いない。そう考えると、小田原が宿場町として栄えた理由が分かる。今も昔も山歩きには、それ相応の格好と準備が必要なのだ。

箱根の山は 天下の嶮 函谷關(かんこくかん)も 物ならず


「箱根の山は 天下の嶮 函谷關(かんこくかん)も 物ならずってね。」


 箱根の国道1号を通る大型トラックは皆無だ。通常の感覚であれば、箱根新道を通るものだが、それも少ない。たいがいのトラックは、東名か下道なら国道246号線を使う。実は、箱根新道には、塔ノ沢や宮ノ下といった温泉街を通る道とは別の、旧東海道が通っている。本当はこの道こそ俺の知る箱根八里の東海道なのだが、現在では大型は通行禁止になっている。

 旧東海道は狭くて険しいワインディングが続き、古い旅館や家屋が軒を連ねている。上の方は鬱蒼とした緑に覆われ、昼でも薄暗い。再びあの道を走りたいという気持ちはあったが、旧街道を大型通行禁止にした行政の判断は正しい。というのも、ところどころ乗用車であっても、すれ違う際はその狭さに緊張するぐらいだから、大型がすれ違うとなると大渋滞を引き起こしかねない。


 仕方なく俺たちは、宮ノ下経由で関所を目指したのだった。

宮ノ下経由で関所を目指す。




◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






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