2016.07.22

ハレルヤ:人生と仕事:経世済民:楽張って、解き放ち、岩を砕け。

TOO EDGY TO IGNORE


どうも、モナ・ジョーです。


逆張りのふざけた感じもいいけど、壮大なテーマでセクシーに切り込んだ感じのやつもちょうだい的な声があるので、今回はそんな淡い期待に応えて美味しい感じのやつにします。

経済や社会にタグを付けて、エッジ大さじ一杯、人と組織の営みに焦点を当てながら。


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人間誰しも、親になって家族を持ったり、企業の経営者になったり、組織の中で自らクリエイトしたものに腰を据えて長期スパンで取り組んだりして、他者と対峙し、外部と共創し、ビジョンを見据え、物事を前へ前へと進める立場になると解ることですが、リーダーとしての舵取りは、その人の才能、直感、経験によって養われたセンス、美学がとことんドライブしないと、まず上手くいくことはありません。


なお、ここで言うリーダーというのは、人を統率する責務と権限を与えられた、いわゆるマネージャーとは異なります。
そのあたりの話は以前記しましたので、そちらも合わせてご覧ください。



というのも、何かしらの目標や課題を前にして、仮に属人的な才能やセンスに頼ることなく、システム化されたマニュアルや教科書的な法則を当てはめて一度や二度切り抜けたところで、やがてまた似たような危機が訪れては、思考停止の条件反射を繰り返すうちに、生産的だと過信し甘んじたスキームは鮮度を落とし、慣れ親しんだルールは通用しなくなり、最後はほぼほぼ袋小路に陥ることになり得ます。
要するに、ギッチリ仕組み化された中で、ファンクショナルなオペレーション強めで仕事をすると、誰がやっても同じ結果になりやすく、裏を返せば、それだけ画一的で色の薄い付加価値しか生まれないということになってしまいます。

それを証明するかのごとく、経営のプロフェッショナルと認識され一目置かれる経営コンサルタントや、ビジネススクールや名門大学で崇高な理論とケーススタディを叩きこまれたエリートが思考する、社会的な信用格付けの高い経営手法やリーダーシップでさえも、およそ“サイエンス”に偏りすぎていて、その一方で、“アート”が圧倒的に欠如しているために発生する諸問題が、WEBの発達と情報革命も手伝って、どんどん明るみに染み出してきているわけです。


日本においては、バブル崩壊後の失われた25年が継続する平成不況の中、企業は経営コンサルタントなどが織り成す聡明な欧米式ロジックに沿うように、経営資源の配分効率化を徹底的に図り、現場の従業員に数値目標やKPIをひたすら追わせ、定性的な指標でさえも定量的に管理するシステムを強いたことで、案の定、日本人が古来強みとして尊んできた“和”が奪われてしまった末の悪影響が、方々に波及しているのを見て取れますし、未来を担う子供たちを育てる学校教育の場でも、欧米風を吹かせた個人主義が蔓延り、学歴やキャリアといった箔ある通行手形の争奪戦に目がくらみすぎたことで、半ばトレードオフ的に、共に学び、共に作り上げ、共に成し遂げるという、人間社会をドライブさせるうえで最も基本的で大切な“集団的創造”“Co-Creation”が隅に追いやられた結果、社会の随所で不健康な様相を呈するようになってしまったというのは周知のことです。

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ハーバードビジネススクールの名誉教授であるマイケル・ジェンセン氏が発表した組織経営に関する論文をはじめ、これまで数多くの研究報告や文献を通して、人肌感が排除された数値でもって日々管理された企業の従業員は、課された数字を達成するために月を繰り上げて売上を計上したり、数字欲しさに優先順位の低いモノを口八丁手八丁で売り抜けたりするようになるといった、様々な苦しいケースが指摘されてきましたが、結局のところ、数字やデータをはじき出すのも、それを読んで判断するのも、元来理屈よりも感情で動き倒す人間なのであり、ちょっとした歪みや思惑が入り組むだけでも、数字やデータはすぐさまフィクションになり得るというのは疑いようのない事実です。
何よりも、数字というのはビジョンに到達するための手段に過ぎず、目的ではないので、現場のプレーヤーたちはKPIよりもKGIを先に明確にして追求しなければならないというのは自明です。

また、コンサルティング企業やコンサルタントは、有名無名問わず世界中多くの企業のアドバイザーとして長きに渡り一枚も二枚も噛んできましたが、アメリカ史上最大の破産劇と言われるエンロン事変を含め、これまで世界中で起きた様々な経営問題にしっかり対処できたか、収拾できたか、回復させられたか、というよりも、そもそもなぜ未然に防ぐことができなかったのか、危険フラグが立ってから実際に破綻してしまうまでの長期間いったい何をしていたのかと問うてみるだけでも、その答えは言うまでもありません。

そんな20世紀後半のコンサルティング全盛時代を経て、21世紀に突入してからというもの、インターネット普及に伴う情報洪水とあらゆるパラダイムシフトが起こったことで、人々が資本主義社会の本質に気付く機会が増加し、設計側もいよいよブラックボックスの種明かしをしなければならないような状況になっていく中、例えば、実地でエンターテインメントを提供して人の心を動かしたことのない人間がエンターテインメントについて語り、さしてファッションセンスのない人間がファッションビジネスに携わり、金融畑で長く働いたことのない人間が金融的知見が必要とされるところで奔走するといったような、幾分コント仕掛けのビジネス環境は明らかにオカシイし笑えないという空気がどんどん膨張しています。
もちろん、分析やロジックをそのまま体現する形でリーダーとして成功している人間も存在しますが、たいてい成功の裏ではたくさんの失敗を経験しているものですし、なおかつそういうハイセンスで要領の良い人間は、スクールや机上で身に付けた頭デッカチな経営とリーダーシップの概念を凌駕できるほどの才を持った、数少ないスタープレーヤーなのであって、あるいは時の運を味方に付けた一握りのタイプであるという場合も多いです。

ひいては、人間が司る仕事では、数値一辺倒な管理体制が半ば意味を成さなくなると同時に、ある種、原点回帰的に、人と人とが地で切磋琢磨し、シナジーを最大化しながら共創するプロダクトやサービス、すなわち“集団アート”が必要とされるようになり、そこに介在するストーリーを描きあげることのできる人間だけが、真の付加価値を作り出していくようになるというのは想像に難くありません。
「ちゃんとやっていれば結果は後から付いてくる」というのを、本当の意味でしっかり理解して、アウトプットし続けられる人間だけが、純真な影響力を武器に、事を推進していくようになるのです。

総じて、生きていくうえで発生する様々なタスクにおいては、他人や数値に任せるのはほどほどにして、1コ1コ自らの感覚とアイデア、アニマル・スピリッツで動かした先に行き着く幸福が求められるべきであって、どこかの誰かが作った時代錯誤な航海図や設計図は破り捨てるくらいの気概がなければ、明るい未来は逡巡してしまうかもしれません。

3


そして、人を否応なく動かすオーガニックなアイデアというのは、根本的に未来の話から生まれるものであり、過去にあるものはアイデアではなくケースです。

企業が商材のマーケティングを行う場合、過去の事例を基に考えようとする場合も多いのですが、過去の結果やデータからスタートすると、真のアイデアが生まれることはあまりなく、ブレイクスルーもほぼありません。
よく既存のモノやサービスを改善する時に、まずはユーザーにヒアリングしようという流れになることがありますが、そういったリサーチが、単なる過去の確認と擦り合わせに、酷い場合には自分たちがやってきたことは正しいと言い聞かせるためのエクスキューズになってしまうことが往々にしてあります。
なぜなら、そもそも通常のユーザーは日々アイデアを探し求めて生活しているわけではないので、もっと言ってしまえば、外から喧伝されて与えられているから享受しているのであって、自動車が生まれる前に何が欲しいか聞いたところで、もっと速く走る馬車が欲しいと答えますし、VR技術が生まれる前にVR体験が欲しいと言えた人間が、世の中にどれほどいたのでしょうか。
近現代の先進諸国のように、モノとサービスが溢れかえり、物質的に満たされたコモディティ社会で過ごすユーザーであれば、なおさらです。
もちろん、データやヒアリング情報がどこかのカンフル剤になることはありますが、未来に受け継がれる本当のアイデアというのは、自分の中に蓄積されたインスピレーションの組み合わせから芽を吹きます。
インベンションではなくとも、イノベーションが世界の価値観を変えていきます。

スティーブ・ジョブズ氏が、iPhoneを設計した時、ほとんど全ての人間のイマジネーションが従来の携帯電話の域を出ない中、持ち歩くPCに電話機能を付けるというパラレル発想ができたのは、ひとえに彼がアイデアを外に求めなかったからであって、その後のiPhoneの席巻ぶりは、ユーザーに回答やヒントを求めるのではなく、新たな見方と世界観を創出し、それをユーザーに教えてあげること、こっちがイケてるのだ、こっちが新たな未来なのだと伝播することの重要性を、ありありと示してくれています。


また、米国ヤフーの副社長を務め、マーケティング関連の著作を多く残しているセス・ゴーディン氏は、今後のビジネスについて、このように言いました。

『これからは、マーケットシェアではなく、顧客シェアを高めなければならない。やるべきことは、確立されきった市場のおこぼれを拾うことではなく、市場をもっと小さい規模に分割して、再定義することだ。あなたが持つ優れたアイデアを、世の中全員に分かってもらう必要はない。たった1人を説得できればいい。そして、その1人がシェアするのを簡単にしてあげればいい。』

Last but not least


自らのアイデアでストーリーを紡ぎ、集団共創できるかどうか。
ひとりの絶対的に質の高い共感を得られるかどうか。
強固なブランドを作り上げられるかどうか。
ノーマルをグッドに、グッドをグレートに、押し上げられるかどうか。
そのうち、火種に着火して、華麗な花火が上がるかどうか。


そんな視座から生まれる、熱量と破壊力のあるアクションが岩を砕いていきます。



史上最も成功したエンターテイナー、マイケル・ジャクソンがこの世を去った時、彼に憧れ続けた世界の歌姫ビヨンセは、ブログにこんな言葉を綴り、手向けました。

“Life is not measured by the number of breaths we take, but by the moments that take our breath away.”
『人生は、何回息をするかじゃなく、何回息を呑む瞬間があるかが大事なんだ。』



人生において息を呑む瞬間に立ち会うためには、決して頑張るのではなく、心と身体で楽しみながら冷静に目的地へと向かって“楽張る”ことが必要です。
人々がそんな風にして、よりハッピーに、よりヘルシーになっていく世界の到来を待ちわびるかのように、至福のプレリュードがいたるところで鳴り響いている気がします。
とりあえず軽くでも、ありあまるノイズを遮断して、耳を澄ましてみてください。
割と鮮明に聞こえてくるはずですから。






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