2016.08.05

【インタビュー:横山剣:#2】クレイジーケンバンド・レ・ミ・ファンタスティック・マン

CRAZY KEN │ That's The Way Music Goes


前回、車と音楽についてパワフルに語ってくれた、クレイジーケンバンドの横山剣さん。



ご自身が名誉館長を務める横浜マリンタワーでのインタビュー後編、メロウな旋律に乗って。


横山剣

■横山剣/よこやま けん
ミュージシャン・作曲家・プロデューサー
クレイジーケンバンドのボーカル兼リーダー

<プロフィール>
1960年横浜生まれ。1981年にクールスR.C.としてデビュー。以後、数々のバンドを経て、1997年春クレイジーケンバンドを発足。そのソウルフルなサウンドとライブ感のあるハスキーボイスで、幅広い年齢層から人気を博す。また、和田アキ子やSMAPなど数多くのアーティストに楽曲を提供するなど、作曲家としても活動。2016年8月3日(水)には、横山剣デビュー35周年を記念したアルバム「香港的士- Hong Kong Taxi -」がリリース。


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剣さんは小学生の頃から独学でピアノを弾き、作曲を始め、10代の頃にはすでに“作曲を武器に音楽ビジネスで稼ぐ”という人生の目標があった。


横山剣

16歳くらいの時に、レコード大賞か何かで、作曲家の先生が作曲賞で表彰されているのを見てこれだと。その頃は、芸能人とかタレントになっちゃったら自由がなくなって、スキャンダルが怖くて遊ぶこともできないみたいに思ってました(笑)。作曲家だったら顔バレしないですよね。昔は筒美京平さんの顔も知らなかったくらいですから。しかも、印税が入ってくるし、好きな車にも乗れるだろうなぁ、自由に生きていけるだろうなぁと。



その後、1981年21歳の時にクールスR.C.としてデビュー。


横山剣

その当時、自分の作った曲を誰も歌ってくれないから作曲家を諦めて、もう自分で全部やるしかないなって感じてましたね。それで、バンドをやろうと思ってた時に、クールスにスカウトされたんです。最初はスタッフとしてローディーからマネージャーになって、その次はファンクラブ担当になって、最後にボーカルに行き着きました。せっかくボーカルになったんだから、自分で書いた曲を自分に提供すればいいという流れです。



それから、ダックテイルズ、ZAZOU、CK'Sなど、20~30代で数々のバンド経験を経る中、34歳の時に外資系検査会社に就職。
昼は会社員、夜は音楽活動という興味深い動き方になる訳だが、なぜ会社員になろうと思ったのか。



横山剣

当たり前ですが、アルバイトだと休んだらお金が入らないし不安定でしょ。一方で、会社員だと有給休暇も取れるし、一定の裁量があって、ツアーも組みやすかった。それに、当時バンドにはホーン・セクションも含めて15人いて、衣装やライブの仕掛けをいろいろ用意したりと、音楽活動に手間がかかっていて、金銭的にも支援しなきゃいけなかった。仕事はそれなりにキツかったですが、自分とバンド活動をしっかり支えられるような体制を作るにはアルバイトでは厳しいと。




横山剣





それで検査官になったということだが、仕事内容は?


横山剣

輸出の関税チェックです。港から輸出する貨物を、事前にインボイス(※税関への申告や検査で必要となる書類)と照らし合わせながらチェックして、インチキしてないかどうかを調べるんです。品物を抜き取ってサンプルと比べて、異なる場合は、レポートしたりしてました。




それにしても、昼は会社員、夜は音楽活動というライフスタイルはさぞかし忙しかったのでは?


横山剣

船の都合や輸出する貨物の量、1日何社検査するかによって違うんですけど、早い時は朝4時5時に起きて6時に現場とかでしたね。ただ、その会社は割と融通のきくところだったので、ライブがある日は休ませてもらったりしてました。今と違って音楽活動も緩やかだったので、普通に両立できてましたね。




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そして35歳で、社長としてダブルジョイレコーズを設立する。


横山剣

子供の頃から、社長になりたいというのはなんとなくありました。昔の東宝映画で「社長シリーズ」ってのがあって、結構観てましたし、君そこに座りたまえ!とか社長っぽいこと言ったりして社長ごっこ的な遊びはやってましたから(笑)。




会社員、ミュージシャン、社長業と、多様で多忙な日々を過ごす中で、多くの苦労や逆境もあったはずだが、そこで自らを支えたもの、奮い立たせたものは何だったのか。


横山剣

かのジェームス・ブラウンが“ハードワーキング・ミスターダイナマイト”と呼ばれていたんですが、彼ってレコード会社やラジオ局を経営して、作曲もダンスもプロデュースもやって、公民権運動にも参加してみたいに、ひとりで何十人前の動きをしてた人なんですね。それで、ハードワーキングってシンプルにクールだと。忙しい毎日は、苦労というよりも、かっこいいものだと思ってました。あとは貧乏性なのか、暇だと不安になっちゃうので、何かしてれば安心みたいな気持ちもありましたしね。隙間があったら埋めたくなっちゃう隙間恐怖症ですよ(笑)。今はできますが、昔は少しくつろぐだけで内心ハラハラしちゃってました。



その後、1997年37歳でクレイジーケンバンドを発足。
会社を辞めたのが、2002年42歳。



横山剣

だんだん音楽活動が忙しくなって、こりゃ会社員とミュージシャンの両立は難しいと思ったタイミングで、音楽を専業にするようになりました。ちょうどマスタングを買った時ですね。






会社を辞めるのと同じタイミングで、憧れのマスタングを購入したのには何か意味が?


横山剣

特に意味はないですね(笑)。確か、その前にクラウンの1970年式を知人から貰ってたんですが、マスタングを持ってた知り合いがそれを欲しいって言うんで、じゃあ取り替えっこしようみたいになって、プラス30万円ぐらい相手に渡して交換したんです。




それからの横山剣、そして、クレイジーケンバンドの活躍っぷりは周知の通り。
16歳で立てた“作曲を武器に音楽ビジネスで稼ぐ”という目標はしっかりクリアしたと言っていい。



横山剣

そうですね。まあ今でもハラハラドキドキはしてますけど、毎年ツアーもできてますし、今年はデビュー35周年記念アルバムも出せて幸せです。本当に感謝しなきゃならないと思ってます。応援してくださるお客さんへの感謝の気持ちが常にありますね。まだまだ攻めで行きますよ。



WE CAN HEAR THE ENDLESS SOUND


ブレることなく、とことん希望を見据え、突き進んできた横山剣。
力強く五線譜に刻み込むソウルフルな詩とメロディが、聴く人の胸を打ち続ける。


デビュー35周年を迎え、ますます脂の乗ったクレイジーケンの色気とダンディズムに、横浜の追い風が吹いている。





◇text:井本智恵子
◇photograph:関根虎洸


《新作情報》17th ALBUM「香港的士- Hong Kong Taxi -」

《新作情報》17th ALBUM「香港的士- Hong Kong Taxi -」

2016年横山剣デビュー35周年、2017年クレイジーケンバンド結成20周年、2018年クレイジーケンバンドデビュー20周年と、アニバーサリーバッシュ突入の皮切りとして発表された本作は、過去に様々なアーティストに提供した楽曲のセルフカバーをメインに、クレイジーケンバンドの最新曲、そして横山剣が過去に所属したクールスR.C.、ダックテイルズ時代の楽曲も新たに収録したアルバム。

クレイジーケンバンド – 「香港的士」MUSIC VIDEO │ UNIVERSAL MUSIC JAPAN






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