2016.08.09

街道トラッカーズ 日光街道(4/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。



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日光街道 (小山→日光)

日光杉並木街道

日光杉並木街道


宇都宮宿と大名行列

 
 とんかつで腹を満たし、先を急ぐ。

 時間がない訳ではないが、運転席に座ると習慣的に仕事モード。


 先へ、先へ。とにかく先へ。


 
 小山石橋雀宮とくれば、宇都宮はもうすぐだった。日光街道の城下町にして、奥州街道との分岐点となる宇都宮はやはり巨大な街だ。

 高速道路なら東京から一時間の街も、旧街道なら四時間はかかる。実際は渋滞やら撮影やら休憩を入れると、六時間以上かかっていた。

石橋宿・星宮神社

石橋宿・星宮神社


 ズギュッ、ピシッ。キュイーン、ピシッ。キュイーン。



「意外とここまでの日光街道は濃かったよ。撮りどころが多かった。」
 
 関根さんの言葉に俺も同感だ。六時間という時間は、走った距離にすると大した距離ではないのだが、確実に濃密なイメージを伴い、日光街道のイメージになっていた。
 むしろ国道4号を軸にした日光街道の従来イメージが、浅草寺を皮切りとした旧街道を走ることで、大幅に変わってしまったと言えるのかもしれない。



「ここから東照宮に向かうにつれて、どんどん旧街道の色が濃くなっていくらしいね。」

雀宮宿・古民家を改装した和菓子店たまき

雀宮宿・古民家を改装した和菓子店たまき


 俺も、事前に読んでいたガイドブックの知識を開陳してみる。

 宇都宮にある奥州街道と日光街道の分岐点を、119号に沿って北上。市内を走り、清住町通りに入ると、果たして街道風情は色濃くなっていくのだった。
 道も狭いので、おそるおそる入っていくと、そこには旧家屋が軒を連ねているではないか。



「うわっ、この家潰れかかってるじゃん。」

 史跡と呼びたい旧家屋が、震災の影響か斜めに傾き、今にも潰れそうになっているのだった。



―――さすがに住めないだろうな。

日光街道標識

 

 無論、街をあげて保存活動をしていれば、こんな有様にはならなかったはずだ。しかし、旧街道のリアルという点では、間違いなくリアルだった。

 形あるものは滅びる。人が通らなくなった旧街道だっていずれは寂れて、区画整理されては、また生まれ変わる。
 この通りはそのギリギリで踏みとどまり、現代に旧街道の姿を伝えているのだった。


 そして、向かい合った旧家屋の距離が、かつて街道だった名残を現在に伝える。その距離は普通車がすれ違うにも狭い間隔で、かつての門前町や寺町、あるいは時代劇のセットを不意に思い起こさせる。

徳次郎宿・智賀津神社の大ケヤキは樹齢700年

徳次郎宿・智賀津神社の大ケヤキは樹齢700年


―――下に、下に。
 

 そんな掛け声と共に大勢をなし、日光社参に向かう将軍や大名たちの行列が見えるようだった。
 連中にしたって、城下町の宇都宮宿を通り過ぎ、いよいよ日光東照宮をひかえ、心持ちも改まる頃合いだっただろう。
 
 俺たちにしても、気分はだいぶ盛り上がってきていた。車窓には、杉並木も目立って見えてきていた。

街道は土木国家ニッポンを支える

十九夜塔と開墾記念碑

十九夜塔と開墾記念碑


 日本の建築文化は、杉を中心とした木工建築で、欧米の石材中心の文化と違い、古い建築物が残りにくいと言われる。
 
 なんせ伊勢神宮の遷宮が20年置きに行われるくらいだ。建て替えて、設え直すことが、日本人のある種の美徳となっている気がしてならない。
 加えて、日本列島は地震や津波が多く、人口が密集した地域では大火が周期的に発生してしまう土地柄である。その度に壊し、造り替え、再興するという一定サイクルのもと、日本の歴史は成り立ってきたのだ。

徳次郎宿の石那田一里塚・日本橋から30番目

徳次郎宿の石那田一里塚・日本橋から30番目


 街道は、日本の土木事業を支え続けてきた。
 日常の物資を運ぶ運送路として使用されながら、片方で建築資材が行き交い、各地から集められた木工やら石工の職人たちが長い年月をかけて、城や寺社仏閣を建設してきた。


 街道は、土木国家ニッポンの象徴なのだ。



「こんなところから、もう杉並木なんだな。」

「俺も下道で日光行ったことなかったから、こうなってるとは思わなかったよ。」



 日光まで、まだどれほど距離を残しているかも知らないままに、俺たちは感心していた。
 しかし、感心するのはまだ早かった。いわゆる日光街道における日光杉並木とは、大沢-日光間の16.52キロメートルがクライマックスだ。

 後述するが、宇都宮を過ぎるとすぐに杉並木が現れる。
 そしてところどころ、かつての街道筋がそうであったかのように、杉並木に目を奪われるのだ。

日光街道を走る



「これ高速で来ちゃうと、何も知らずに日光入りしちゃうんだな。」

 関根さんがつぶやいた。俺も頷く。

「俺も日光は何度か来てるけど、高速しか使ったことなかった。でもこれ、観なきゃダメだね。」



 大沢を過ぎると、その思いもどんどん加速する。いよいよ杉は大木となり、目を疑うような荘厳な世界へといざなわれる。

 かつては日光神領と呼ばれ、この地域の杉並木は江戸幕府によって手厚く保護されていたという。



「やっぱり家康だね。こうやって自分の威光を後世まで伝えようとしたんだ。」

「本当だね。やっぱり家康だ。」

日光街道植樹記念碑

日光街道植樹記念碑


 そんな風にして、俺たちは頷き合っていたが、正確には杉並木を整備したのは家康ではない。徳川家三代に仕えた松平正綱による寄進で、約20年かけて整備されたのだという。

 現在では、世界遺産に認定されるほど、東照宮のご威光である杉並木も、有能な部下の仕業だったという訳だ。



「これ、道が逸らされてない?」
 


 深い杉並木を走りだしたと思いきや、左に逸れて、街道は側道を走っている。外側から見る杉並木は、何ともバツが悪そうだった。



「そうか、杉並木を保護しているのか。」
 

 高速が出来て、車通りも少なくなったとはいえ、杉並木は依然として保護を必要としているに違いない。
 実際、今のペースで杉並木が消失していくと100年後には見られなくなってしまうというのだから。

日本ロマンチック“杉並木”街道

日本ロマンチック“杉並木”街道

 
 俺たちは国道を外れ、町道として使用されている杉並木の一角に再び入ってみた。
 整然と居並び、太く真っ直ぐ伸びた杉の大木たちは、そのままどれもがご神木になりそうな格調の高さだった。


 江戸幕府が終わって150年。現在は保護されて、通る人も車もまばらな杉並木の林道の姿は、太古日本の光景のように思える。
 道の傍らには小さな社があり、地蔵が祀られている。杉が植えられた時代からあるとしたら、500年もこの街道の変遷を見てきている訳だ。


 その時間が織り成すロマンに浸りきっていた。




「おっと、あぶね。」
 
細い杉並木からの出口で、トラックの前方に突き出ているクレーンがあやうく杉をかすめそうになる。



―――ついその存在を忘れちまう。

日本ロマンチック“杉並木”街道

 
 
 杉は成長に60年と言われ、そのスピードが早い。ヒノキやカエデは150年と言われるから、いかに他の建築材に比べて、杉の成長が早いかは理解できるだろう。
 伐採して植樹を繰り返すスパンは、建て替え、設え直す日本の木造建築にも通じているのだ。


 日本を代表する木は桜かもしれないが、杉こそが隠れた国樹なんだという思いが、じわじわ湧いて出てくる。


「ここは海外観光客にこそ、見せるべき場所だと思うよ。」
 
 撮影を終えた関根さんが、ぼそっとつぶやく。



「こんなにスゴイとは想像もしてなかった。」

日本ロマンチック“杉並木”街道

 
 
 俺は杉を、街道に生きてきた者たちに重ねてみた。


 物流に建築に、そのほとんどがトラックを使用して暮らしを営んでいる。この杉並木の街道風景を、日本の産業を支えてきたトラッカーたちにこそ、見て感じてほしいと思った。

 ここに来るまで、そんなこと露ほども考えなかったが、そこには街道の原風景が確かにあった。

大谷川に掛かる朱色の神橋

大谷川に掛かる朱色の神橋


 
 ズキュッ。ビシッ。ギュイーーン。ギュイーーン。




 杉並木を抜けたその先に、日光東照宮はあった。


―――見たい。
 


 一瞬、強い思いがよぎる。


 だがトラッカーとしての自負がそれを遮った。
 より鬱蒼とした杉木立の塊を前に、俺たちはそのまま帰途についたのだった。

より鬱蒼とした杉木立の塊を前に、俺たちはそのまま帰途についた。




◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






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