2016.07.11

街道トラッカーズ 中山道(4/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。



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中山道 上州・信濃編(軽井沢→諏訪)

軽井沢宿/北陸新幹線の列所と


ジョン・レノンと軽井沢

 
 碓氷峠のつづら折りの坂を下るとすぐに、軽井沢駅の前に出てくる。避暑地として有名な軽井沢だが、かつては浅間山の景勝地として栄えたという。
 街道が廃れるにしたがって訪れる人も少なくなっていった軽井沢宿だが、130年ほど前に、カナダの宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーが避暑地として見出したのが始まりだ。


―――私の故郷、トロントに似ている。

 ショーは軽井沢をそう評して生涯愛したらしい。確かに、軽井沢に入った途端、白樺の林や並木が連なり、景観は一変する。横を並走する古ぼけた信越本線を見ながら、俺は何とも幸福な気分だった。



―――ウーマン。上手く言えないんだ。僕は思いやりがないから、もどかしい気持ちを伝えられずにいる。僕はずっと、君に恩を感じているんだ。

 ジョン・レノンがオノ・ヨーコと過ごした軽井沢には、彼が愛した場所がそこら中にある。18号線を走っていると、『ウーマン』のメロディラインが染み出るように流れる。そのメロディは、関根さんといると演歌にしか聞こえなくなってくるが、街道において、かつて誰かが情を通わせた場所というのは、それだけで胸を躍らせるものがある。

軽井沢宿/つがる屋「枡形茶屋」

 
 現代の街道というのは、それまでの時間の積み重ねが油のように表層に浮き出ているように思う。

 ジョン・レノンも、軽井沢を愛した文人や政治家たちも、そんな文様のひとつに他ならない。そして、その文様に気づき、理解して、楽しもうとすることで、街道に対する見方や感じ方は大きく変わると思っている。だからこそ、のんびり軽井沢観光をしてみたい気持ちもこみ上げる。


 とはいえ、俺たちは観光をしにきている訳ではない。一応、仕事で来ている。飲みたくて飲みたくてたまらないが、ジョン・レノンが愛したブルーベリージュースを飲んでいる場合でもないって気持ちもどこかにある。その走りを止める訳にはいかないって、どこかで思っている。
 実際、木曽まで今日中にたどり着くのかが怪しい思いで先を急いではいるが、立ち止まらないこと、滞留しないこと、そもそも、それがトラックなのだ。


「一心不乱に走りまくれ。過去も思い出も置き去りにしていけ。」


 俺たちはトラックに乗っている時点で、常に移動を義務づけられている。
 
 先へ、先へ、とにかく先へ。

追分宿/北国街道と中山道の分岐点にあるのが「追分の分去れの碑」

 

 ガツッ、キュイーン、ガツガツッ、キュイーーーン。




 そう、俺たちはとにかく先を急いでいた。時間的に今日中に木曽というのは無理っぽいことが見え始めていたから。


「やべぇな。どこまで行けるやらだな。」


北国街道を使う人

 
 トラックは軽井沢を過ぎ、沓掛を過ぎ、追分宿にたどり着いた。途中、予想していなかった渋滞にハマり、俺と関根さんの間にも、幾分まったりした空気が流れる。

 そんな折、不意に旧街道が右に伸びていた。俺はトラックを停めて、関根さんが写真を撮りに車を下りる。果たして、そこは北国街道(ほっこくかいどう)の入り口だった。


「ここが分岐点か…」


 北国街道は、追分から新潟県の上越市までを結ぶ街道で、別名・善光寺街道とも呼ばれている。途中、大河ドラマで人気の真田昌幸ゆかりの上田を通り、加賀の前田藩など北陸大名たちは皆、この道を使って参勤交代をしていたのだという。さらに、佐渡の金を江戸へ運ぶルートでもあり、往時は善光寺参りをするための参拝客や、北陸から江戸へ出る旅人で賑わっていたらしい。


―――遠くても、一度は詣れ、善光寺。



 なお、北国街道は五街道ではなく、幕府によって整備された脇街道だ。そして繰り返しにはなるが、俺の個人的な中山道のイメージはこっちに行くイメージなのである。この追分の分岐点の先に、松本を走る北国西街道を加えると、ちょうど北国街道と中山道でトライアングルが出来上がる。このトライアングルが信濃の心臓と言える。山に囲まれた天然の要塞であるうえに、日本海にも太平洋にも抜けられる要所地帯だ。だからこそ、歴史上の重要な転換点となり続けてきた場所なのだ。


「盆地って感じだ。俺の田舎もこんな感じだよ。」
 
 埼玉生まれの関根さんには、盆地の人間性向は分かりにくいだろうと思いながら、そんな話をしてみたりもした。

塩名田宿/庚申塔や未申の碑


道祖神と蘇る旧街道

 
 俺たちは、佐久盆地の牧歌的な田園地帯を走りながら、佐久市をかすめつつ、中山道をひた走る。
 そして、142号線を右折すると一路、諏訪である。俺たちの前を走るのは姫路ナンバーの大型車だった。

「姫路からこんなところまで来てんのか。」

 胸がドキっとしたのが分かった。帰り荷はないのか、急ぐ素振りは一切ない。やがて、その大型車は路肩に寄ると、休憩に入るようだった。

望月宿/むらおこし道祖神


 望月宿に着くと、そこには大きな道祖神が祀られていた。“むらおこし道祖神”とあるので、昔からある道祖神ではないのかもしれない。ただ、この辺一帯は、道祖神が多く祀られていることで有名で、特に望月は石仏の里と呼ばれ、140もの道祖神が点在しているのだという。

「この道は旧街道の電波がビンビン飛んでるぜ。」

 俺は胸が高鳴った。道祖神というのは、村を災厄から守る道の守り神だ。役割としてはそれだけではなく、子孫繁栄、または街道の通行の安全を祈るための石仏として祀られてきた。
 そして、もっと興味深いのは、これが様々な信仰が習合した成れの果てで、ハイブリッド民間信仰だという点だ。それは、関東や長野の山間部に多く、逆に海沿いには少ないのだという。


 信濃は、この道祖神と、村を災厄から守る中国伝来の庚申塔がセットで祀られているところも多い。その異様な多さからして、とにかく村を守ってほしいという切なる願いが伝わってくるし、その独自の信仰形態は、実に盆地らしいとも感じられる。

芦田宿/盆地の田園風景をひた走る

 
 緩い昇りの山道が続く。山間の村。道ばたの神々と民間信仰。絶えない人の流れ。


「やっぱりこの辺は面白い。」


 俺は、この142号線を走りだした時、何とも名状しがたい感覚に襲われていた。ほとんど町の道といった雰囲気のそこかしこに、旧街道の趣が色濃く残っていたからだ。
 例えば、走っている道のすぐそばを平行して、古びた松並木の道が伸びている。何気なく旧街道はそのまま残り、人々の暮らす道として活用されているのだ。

 
 佐久から諏訪までの区間、何度も旧街道をそのまま目の当たりにしているかのような幻想的な光景に出くわしたが、かつて、こんな道を走ったことがあっただろうか。

―――記憶にない。後にも先にも初めてだ。


 かつてトラッカーだった頃、夜中になると街道がその表情を豹変させる場所はいくつかあった。けれども、この道ほど、真昼間から街道の濃密な気配を感じさせる道はなかった。

芦田宿/街道をゆく旅人を灯した常夜灯

 
 ズガッガッガッガ。ピシッ。プシュー。



 俺は峠の頂上付近でトラックを路肩に寄せ、下りてみた。その時は両足の感覚がなくなりそうなほどで、息抜きのつもりだったが、眼前に広がる諏訪盆地は心からホっとさせられる光景だった。
 
 左を観れば、地蔵が立って、微笑んでいる。



「ここまでか。」


 俺たちは木曽を諦め、諏訪から帰路についたのだった。

和田宿/諏訪湖付近




◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






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