2016.06.29

街道トラッカーズ 中山道(2/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。



 BACK NUMBER


中山道 上州・信濃編(桶川→横川)

中山道 上州・信濃編(桶川→横川)


中型のデコトラとアイデンティティ


「日野の4トン(中型トラック)はよく走るよねっと。」


 桶川本宿を経由し、俺たちを乗せた日野レンジャーは国道17号へ出た。日野はなんと言っても一番人気。俺も好きだし、中型以上の大きさになると、その人気は安定したものだ。支流を流れていたボートが本流に入った塩梅で、日野レンジャーは一気にその先を目指す。

中型のデコトラとアイデンティティ

 
 前に、大型トラックと中型小型トラックではドライバーの走る距離は違うという話をしたが、実際は大型に限らず、中型トラックも長距離を走ることは多い。今はほとんど見なくなったが、大型かというぐらい大きな箱を中型に載せて、高速道路の右車線をかっ飛んでいくトラッカーをよく見たものだった。
 
 菓子やティッシュなど重量のない嵩(かさ)のでる荷物は、大型を使うよりも、中型を使う方が効率的だったりする。さらに中型はとにかく速い。
 本来は始末書ものの積み残しの荷物を最後の最後に引き取って、そのくせ着時間に間に合わせてしまう韋駄天トラッカーはだいたい中型と相場で決まっていた。大型にはないスピード感が大好きという根っからの中型トラッカーも多いのだ。


 だからという訳でもないのだが、俺の知る中型トラッカーは若くて威勢の良いヤツらが多かった。早朝に東北からの荷物を満載にして高崎や前橋あたりにつけると、中型の若いヤツらがその荷の到着を今か今かと待っている。そして、こっちが着いて一服もしないうちに、箱に群がってくると、あっという間にウイングを開けてしまう。フォークリフトで荷物を降ろし、仕分けをし、自分のトラックに積み込んで、颯爽とデポ(物流拠点)を出発していく。
 あっと言う間に空になる20トン荷を見て、飢えたサメの群れかよと形容したくなるほどのガッツキぶりだった。

 彼らは若く、10代で免許取りたての初心者も少なくなかった。自分の給料の大半をメッキパーツや改造パーツでトラックを飾ることに注ぎ込み、他の職業なんかに見向きもしない。アイデンティティは、自分が乗るトラックそのものだったからだ。
 自分が乗るトラックとはいえ、会社の持ち物だから飾ること自体禁止のはずなのだが、北関東あたりはその辺が緩かった。会社側も原状復帰できることを条件に、好きにやらせていた。俺には、その関係性がトラッカーのひとつの幸福な絵に見えていた。それは、好きなことで稼ぐ、以上のことだと思っている。この仕事は俺そのものだ。連中の顔には、いつもそう書いてあったから。

中山道 北本宿


今も昔も互助する街道気質

 
 ガチッ、キューン、ガチッガチッ、キューン。

 国道17号は、ほどよい起伏にほどよいカーブが続き、走っていて気持ちの良い街道だ。トラックは本庄市へと入った。


「この辺に見通燈篭っていうのがあるはずなんだ。」

 関根さんがそう言うので17号を外れてみると、果たしてそれは県道沿いにあった。
 見通燈篭は、上州と武州を分けていた神流川の両岸に建立され、夜間の旅人たちの道標になっていた。これは再建されたものだが、元々は人々の寄進によって建立されたものらしく、俳人の小林一茶も寄進したのだという。

見通燈篭

 
 なお、街道にまつわる話には、こういった互助的な内容のものが多い。当時の旅が常に危険と隣り合わせだったことを示してはいるが、思えば、他人の通行の安全を祈るというのは、出来そうで出来ない心構えと言えないだろうか。
 俺は、ここに現代の街道トラッカーにも通じるマインドを感じるのだ。トラッカーは走りながら、他人の命が奪われた数多くの事故現場を横眼に通り過ぎている。


―――明日は我が身だわな。

 そんな風に思わないトラッカーはいないし、念仏の一言でも唱えたくなるような凄惨な現場もまた多い。
 結局、街道というのはいつの世も、死の危険と隣り合わせの世界だ。街道を行く。赤の他人が助け合う。例えば、トラッカーの無線の団体やデコトラの団体が災害現場で炊き出しを行ったり、交通遺児のためにチャリティイベントを催したりするのには、昔ながらの互助的な街道気質が宿っているのだと思っている。

 そんな現代と江戸の頃の街道をつなぐ見通燈篭を後にして、神流川を越えれば、いよいよ上州である。

柳茶屋の芭蕉句碑


上州の地の利と峠の釜めし

上州の地の利と峠の釜めし


「上州名物、かかあ天下に空っ風ってね。」

 かつて上州は養蚕業が盛んだった。上州の絹や生糸は、中山道や利根川の船運により全国各地へ運ばれていったという。また、養蚕は女性が中心になって行われて、奥方が家計を支えるという歴史的背景もあったらしい。ゆえに、奥方の権限が強いようで、県出身者に聞いてみてもその傾向は依然として残っているとのこと。それはそれとして、ここには日本のシルクロードではないが、物流を担った独特の文化圏があったはずなのだ。
 

 俺は、高崎から先にはあまり縁がない。トラッカーの頃も高崎止まりで、山を越えたその先に荷物を運んだ記憶もない。でもその頃から、上州には憧れがあった。前橋、高崎、藤岡あたりで運転手をしてみたいってずっと思っていたのだ。
 上州は地図で見ると分かるが、東日本の臍(へそ)にあたる。仙台と名古屋の間に位置しており、太平洋岸、日本海岸どちらへも行けるから、行先は多彩なはずだった。それと何より、一番気に入っているのは、上毛三山、赤城山、榛名山、妙義山の山並みだった。

上毛三山、赤城山、榛名山、妙義山の山並み

 
 高崎市に入り、国道17号から18号へ右折して走っていく。このジャンクションの苔むして古びたコンクリートの感じが、たまらなく格好良い。


 走ってしばらくすると、いよいよ山脈が左手に大きく近付いてくる。真ん中に一際目立つ相馬岳を筆頭に、荒々しい風貌を見せる妙義山は、ハッとするほど美しかった。



―――峠の釜めし。ここは譲れないね。

峠の釜めし

 
 道中、関根さんが繰り返し口にし、こだわり続けていた、峠の釜めし。その釜めしが食べられる横川には、18号を走ってほどなくして着いた。しかしながら、古びたドライブインで地味に販売されている釜めしの様子を勝手に想像していたのは、完全に的外れだった。

―――店内はカフェ風。BGMはジャズ。ジャズで釜めし。

コンサルタントの頭の中をそのまま具現化したような体ではあったが、釜めしは美味かった。素材も味付けも素朴な味わいなのだった。




「うっしゃ。先を急ぐベ。」

 入念に屈伸運動をし、養分を乗せた血流を全身に巡らせる。木曽はまだまだ先で、寄り道の多かった俺たちは予定を大幅に遅れていた。

うっしゃ。先を急ぐベ。




◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






NEXT/STORY