2016.06.24

街道トラッカーズ 中山道(1/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。


中山道 上州・信濃編(日本橋→桶川)

中山道 上州・信濃編(日本橋→桶川)


中山道を使う旅人

 
 東海道53次と並ぶ有名街道が、中山道69次。街道ファンはむしろ、東海道よりも中山道を好む人が多いそうで、その理由は、江戸時代の建築物や史跡が比較的多く残っており、旧街道情緒に触れられるからである。
 今回は、そんな中山道を行くことにした。旧街道を走れるということもあって、トラックも大型から4トンの箱車に変えてみることにした。


 朝6時の日本橋。カメラマンの関根さんを乗せて、日野の4トンは一路、国道17号を北上し始める。
 
 ズビビズビビ。キュイーーーン。ガツッ。キュイーーーン。
「行くぜ。直5ターボ280馬力ってね。」
 

 ターボのタービン音を聴きながら、やっぱり走るなぁと顔が自然とニヤケる。トラッカーの韋駄天とくれば星桃次郎(映画『トラック野郎』の主人公で菅原文太が演じている)だが、大型の一番星号じゃ、たいしたスピードは出ない。どだい重いし、現代において大型にはリミッターが義務付けられているので、最大でも80キロしか出ないからだ。桃次郎の相棒、ジョナサン(愛川欣也が演じている)が乗っていたジョナサン号が4トンだから、こっちの方がよっぽど速いのが本当のところだ。

東大赤門

 
 トラックは東大赤門前を通過する。赤門は、加賀100万石、前田藩の大名屋敷跡にある。下屋敷は板橋にあって、そっちは東京ドーム7個分の敷地があったらしい。どちらも中山道沿いにあって、道はいつでも加賀に通じていたって訳だ。
 そしてこういったメンタリティは現代でも案外変わっていないような気がする。東北出身者なら東北新幹線の沿線沿いに、関西出身者なら東海道新幹線の沿線沿いに住んでしまう、といった傾向はしばしば見られるからだ。

 それはともかく、その後ずっとこの中山道の旧街道を走る道すがら、加賀へ向かう旅人を想像していた。中山道は東海道と同じく、終着点は京都の二条大橋。川が氾濫すると渡れなくなる“川止め”や箱根の関所を避けるために、中山道を使う旅人もまた多かったという。とはいえ、個人的にはこの街道を利用して京都に行くイメージはほぼなかった。この街道を使うのは、奥飛騨や木曽に住む人たち、もしくは飛騨山脈を越えた向こう側の人たちというイメージだった。この道しか使いようがない人だったり、険しい峠越えをしなければいけない人のための道だと思っていたのだ。

タイムスリップポイント、清水坂。

タイムスリップポイント、清水坂。

 
 山手線を過ぎて、志村の一里塚を越えると、ひょいと清水坂の旧道が現れる。道は狭いが、4トンなので気にせず入っていくと、果たしてそこは往時を偲ばせる旧街道なのだった。
 坂の周囲にはマンションが立ち並んでいて、コンクリートとアスファルトに固められた何のことはない街の普通の坂道に見える。けれども、そこにトラックを入れた瞬間、行き交う旅人の姿や、坂の途中の茶屋なんかの当時の様子がフラッシュバックしてくる感覚が押し寄せた。

―――この坂、いいね。

 清水坂は、かつて隠岐殿坂と呼ばれていて、中山道最初の難所であり、富士山を臨む随一の名所だった。富士山ついでって訳じゃないだろうけど、粋なのが、ここから練馬・府中を経由し、霊峰として信仰されていた富士山・大山へと続く街道が伸びていたらしい。
 もちろん旧街道と知らなければ、ただ通り過ぎていたに違いないが、それと知ることで、ただの坂道が時間を超越したものとなって彷彿としてくる。坂を登る旅人の息づかいや最初の難所に向かう心持ち、すぐ先に戸田の渡しがあるから川の様子が気になっていただろうし、さらにその先には数々の峠越えが控えている。坂に立った旅人の想いに触れているような気がした。
 
 ただ、道はどんどん狭くなってきた。4トンとはいえ、この先へ進むのはマズイと国道17号へと戻る。

蕨市へ

 
 戸田の渡しがあった戸田橋で荒川を渡って、蕨市へ。そして、旧中山道にあたる県道79号線へ入る。蕨宿の跡など、蕨市は中山道旧街道をアピールしつつ、その趣を保存していこうと考えているのが分かる。

 旧街道というのは、国道と重ならない方が保存されるものなのかもしれない。時として重なるところはあるものの、国道は旧街道から2町ほど横にずらして整備されている。これは、街並み保存の観点からではない。旧街道は当時の地形に合わせて敷かれているから、場所によっては激しく蛇行していて無駄が多いからなのだ。
 ところが現在では、旧街道はまっすぐ敷き直されていて、国道と重なったり外れたり、川の本流と支流のように、くんずほぐれつしながら続いていく。
 
 実際のところ、旧街道を大型で辿るのは不可能だ。ほぼ大型通行禁止になっているから。これは箱根の旧街道の時も感じたことだが、俺がトラックのハンドルを握らなかった15年間で、大型が走れる道は、大幅に制限されてしまっているらしい。

中山道ふれあい広場


表裏一体の大型と小型

 
 旧街道という意味では、何も見るべき場所のない浦和と大宮宿を越えて桶川に入ると、道はまた当時の街並みを想起させる。国道17号を走っていては見ることのない蔵屋敷やまんじゅう屋など、桶川の宿場町の雰囲気を感じられ、とても新鮮だった。

―――2トン、4トンじゃないと拝めない景色だよな。

表裏一体の大型と小型

 
 ところで、トラックの大型と中型と小型、それぞれの役割の違いは、ヤマトや佐川の宅配便に例えると分かりやすいかもしれない。
 コンビニや各家庭から2トンが荷物を集荷する。ちょっと大口の荷物は4トン。彼らが集めた荷物は各地域を受け持つデポに持ち込まれ、行き先別に荷捌きされ、大型に積み込まれる。大型は、高速道路と国道を使って長距離移動。その先にはやはりデポがあって、下ろされた荷物は捌かれ、同じように2トン、4トンが配達に向かう。だから、大型には大型の見える景色があって、中型や小型にもそれぞれ見える景色がある。
 
 宅配便の集配を想う場合、いつもヤマトのCMに使われているTOKIOの歌が口をつく。あんな風に荷物を小脇に抱えながら、客先を笑顔で周るのが中型や小型である。


―――溢れだす、この想いを届けよう。

桶川

 
 俺は結局のところ、トラッカーは大型か小型かどちらかの景色を自分で選んでいると思っている。大型から見える景色は日常があまり干渉してこない世界で、中型小型は日常にどっぷり浸かる世界。大型は今日は東へ明日は西へ、決まった客先というよりも、荷物次第で日本全国どこへでも行く。一方で、中型小型は多くの客先を抱え、煩わしい人間関係もあるかもしれないが、毎日家に帰れる生活である。

 昔のトラッカー仲間には、結婚や子どもが出来たのを契機に大型を下りて、毎日帰れる中型や小型の仕事に変えたヤツらがいっぱいいる。一度乗ってしまえば、大型はいつでも乗れる。そして低くはない確率で、その日がまた来る。離婚や降りかかった人生のトラブルをきっかけに、また大型へ戻ってくるのだ。そして大型のキャビンから見える景色に、トラッカーは胸を打たれる。その孤独が懐かしくて、とてつもなく優しいからだ。

 もちろん、長距離と家庭を両立できるタイプもたくさんいるはずだが、大手の優良企業じゃなかったから、俺の周りにはいなかった。2週間に一度くらいしか家に帰らない生活を、今日日どこの奥さんや子どもが許容するんだって話だ。運転手不足と叫ばれる昨今、その傾向はますます強くなっているはずだった。

べに花まんじゅう



―――男の旅は一人旅、女の道は帰り道。


トラック野郎の“一番星ブルース”じゃないけど、大型にはやっぱりブルースが似合う。溢れだす気持ちがあれば、そっと仕舞い込むのだ。県外ナンバーの大型の後姿を見ていると、ブルースの響きがどこからともなく聞こえてくる。



「もう17号出よっか。この調子だと今日中に木曽は無理だわ。」



 俺たちを乗せた4トンは再び、大型トラックが往来する国道17号へと戻った。





◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






NEXT/STORY