2016.06.09

街道トラッカーズ 東海道(4/4)

文-青木雄介・写真-関根虎洸

今日は東へ、明日は西へ。江戸の時代から日本中に張り巡らされた街道を、今日もトラックは疾走している。そんなリアルな街道を、漂泊するトラッカーの魂で捉え、浮き彫りにしていく旅日記。それが街道トラッカーズ。



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東海道 箱根編(小田原→箱根)

東海道 箱根編(小田原→箱根)


大黒埠頭の陸送屋

 
 小田原の市街を抜けると、いよいよ箱根って気になってくる。箱根湯本には、旧東海道と現在の東海道が分岐する交差点があって、左に行けば旧東海道、まっすぐ行けば観光メインの温泉街ルートでもある現在の東海道となる。それにしても、大型通行禁止の標識が恨めしい。

―――旧道走ってこそだよ。東海道は。

 俺に大型トラックの乗り方を教えたのは、間違いなく箱根の旧東海道だ。20年前、陸送屋をやっていた頃の話。静岡で路線バスを引き取り、箱根を越え、横浜の大黒埠頭まで陸送する仕事をしていた。仮ナンバーを持って関東近郊の解体屋からトラックを引き取り、大黒埠頭まで走るというもの。これ、仕事はあてがわれるが、それを受けるも受けないも自分次第だった。電車代や燃料費、使った高速費は全て自分持ち。事故を起こせば、当然そこも自分持ちという条件だったのだ。そんな訳で、一時が万事、ギリギリの稼業だったことを覚えている。そんな中でも、静岡から出る路線バスの仕事は、一番いい仕事だったと思う。

旧道走ってこそだよ。東海道は。


―――そうそう。たまにバス待ちの婆さんが乗りこんで来ようとするんだよね。

 そんなことを思い出しながら、俺と関根さんを乗せた大型ダンプは渋々、国道1号の塔ノ沢や大平台といった温泉街を上っていった。

「そういえば、こっち来たこともあったっけ?」
 こちらは温泉メインの観光道。陽光あふれる緑が清々しくて、箱根の山が微笑ましく俺たちを迎えてくれる。道は狭いが、旧道に比べればどうってことない。空荷のダンプは、スイスイ快調に上がっていく。たまにすれ違う大型は、観光バスか路線バスだけだ。
 箱根には大型重機を載せた重トレも山越えに来るが、連中は有料の箱根新道をしっかり利用する。急坂だと、歩いた方が速いんじゃないかってくらいのスピードしか出ないから、連中の後に付いたら最悪だ。ただ、彼らの異形としか言いようのない巨大さに憧れていたのも事実。20年前、俺は箱根の旧道越えばかりしていたのだった。いつかトレーラーに乗る日を夢見ながら。

旧東海道を爆走する路線バス

 
 俺が陸送をやっていた20年前、ゾノという3つ下の相棒がいた。サッカー選手の前園みたいな長髪で顔も似ていたから、アダ名はゾノである。そんなゾノも、俺と同時期にトラッカーの仕事を始め、当時初めて大型に乗ったばかりだった。静岡からバスを持ってくる仕事でもよく一緒になった。そもそもリスキーな箱根の旧道を走り出したのは、ゾノがキッカケだった。
「箱根越えた方が近いじゃん。こっち行こうよ。」(さすが、機内食で肉か魚かと問われれば迷わず肉を選ぶ男。)


 ちなみに、246ルートはなだらかで道幅が広い分、東名方向に迂回する形で距離もそれなりにある。その点、箱根越えは三島から小田原までほぼ一直線だが、道は狭く険しく、つづら折りが続く。陸送稼業を辞めることになってから、246ルートを走って分かったのだが、246は距離がある割には楽な道で、時間もさほどかからない。カラクリとしては、大型なら普通に走れば246が早いのだが、当時の俺たちが旧道を恐ろしいスピードで走っていたから着時間が変わらないというだけだった。

 そして、あまり知られていないが、バスはRR(後ろにエンジンを載せた後輪駆動)で重量が駆動輪にかかる設計なので、フロントが軽くて走りに適している。馬力がない故に、上りは遅いが、下りは自重で限界まで攻めた走りが可能だ。俺たちは前を走れば後ろを置き去りにしようと、後ろを走れば前に引き離されまいと、全身を緊張と恐怖で粟立たせながら、文字通りのテール・トゥ・ノーズで峠を走っていた。

 ガコン。ズビビビビ。ガツッガツッ。ズビビビビビ。

湯坂路(鎌倉古道)

 
 箱根の旧道は、鬱蒼とした森の中を行く、陽も差さない陰気な道。そこをエンジンブレーキと排気ブレーキを使い分けながら転げ落ちるように、2台の路線バスが走る。
 大黒埠頭に着いたらば、路線バスの日本でのお役目は終了。バスにしてみれば、日本の道を走る最後の最後に、こんな走り方をされるとは思ってもみなかっただろう。

 俺とゾノは、バス以外にもダンプやトレーラーヘッド、狭い道は絶対に通れない2デフの大型箱車以外は何でも乗って、この道を走った。陸送屋で初めて大型に乗ってからの半年間、箱根の旧道で俺は、トラッカーとして大型の運転を覚えた。その後、俺は箱根の旧道を繰り返し走るうちに、大型の運転に刺激を感じられなくなってきていた。
 
 トレーラーに乗りたいという欲望に取り憑かれ始めていたのだった。

街道の神様からの贈り物

箱根神社

 
 俺と関根さんのダンプは、芦ノ湖湖畔の元箱根に到着した。芦ノ湖はいつ来ても気持ちが良い場所だ。特に、箱根神社のほとりは気の巡りが良いので、湖畔で昼寝しているだけで気分爽快になる。


 目的地の箱根関所に着く前、関根さんと飯を食った。芦ノ湖産の公魚(わかさぎ)を使った甘露煮と、とろろご飯の定食。お伊勢参りで往来した旅人は、精をつけるために自然薯をよく食べたという。自然薯の旬の季節はタッチの差で逃していたが、とろろは粘り気が強くて美味かった。当時の日本人は1日に米5合を食べていたと、関根さんが教えてくれる。峠越えの疲れた身体に自然薯とくれば、確かに白飯は何杯でもいけそうだ。

芦ノ湖産の公魚(わかさぎ)を使った甘露煮と、とろろご飯の定食

 
 関所跡は、杉の大木が林立する湖畔にあった。ここが泣く子も黙る箱根の関所だ。東海道を旅する者は、例外なく箱根の関所を通らなければならず、特に女性の取り調べは厳しかったらしい。今回の東海道ドライブはここが終点だが、この先、東海道はまだまだ続く。
 三島を過ぎて箱根八里を越えれば、沼津はもうすぐだった。


―――そうそう、路線バスはその先の富士市から乗ったんだっけ。

三島を過ぎて箱根八里を越えれば、沼津はもうすぐ。

 
 陸送屋としての最後の仕事も、バスでの箱根越えだった。俺はその日になっても、ゾノに仕事を辞めると言えないでいた。ところが、街道の神様はそれを察したのか、最後の最後に一大トラブルを用意していた。俺の乗っているバスが、ガス欠を起こしたのである。さらには、エンジンを切ったところ、バッテリーがあがってエンジンがかからなくなった。俺は事務所のレスキュー隊に連絡して、軽油缶と牽引ロープを持ってきてもらった。
 場所は天下の国道1号。エンジンのエア抜きをしてから、レスキュー隊に道の流れを止めてもらって路線バスが路線バスを引っ張る。そうやって押しがけして、エンジンをかけたのだった。壮大なクラクションを浴びながら、路線バスが再び走り出した時、俺は最高に高揚していた。そして、大黒埠頭のヤードに到着して、検査員に査収をもらい事務所へ戻る道すがら、俺はゾノに、辞めることを打ち明けたのだった。
 
 ゾノは全く表情を変えることなく、答える。
「ふーん、ここじゃトレーラー乗れないからな。じゃ、俺も辞めるわ。この仕事さ、歳取ってからも出来ると思うんだよね。」

 俺は相槌を打ちながらも、少々残念な気分だった。ゾノは続けるような気がしていたし、トレーラーに乗る道がなければ戻ってこようと思っていたからだ。

「若いうちにしか出来ないことって、他にあるんじゃねぇか。」
 ゾノはそう言うと、そのまま事務所に行った足で辞めることを告げた。それからゾノはしばらくして、ホストになった。



 帰りの国道1号で見た、保土ヶ谷駅の商店街。20年前に俺たちが路線バスを押しがけした場所は、昔とちっとも変わっていなかった。その後のゾノの人生がどうなったか、興味がない訳ではない。でも別段、連絡を取ろうとも思わない。昔の仲間を思い出す瞬間は、いつもこんな感じだ。生きていてくれさえすればいいし、おそらく向こうも同感なはずだ。

帰りの国道1号



―――あいつも全然変わってないんだろう。
 
 俺はちょっと気持ち強めにアクセルを踏んで、そこを通り過ぎていった。




◇企画協力:株式会社ヨシノ自動車






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